「バルト三国」の旅
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9月15日から26日にかけてユーラシア大陸の西端に位置し、バルト海に面した「バルト三国」の初秋の旅を楽しんだ。知人ご夫妻と早稲田大学大学院に留学中だったリトアニアの青年の交流が今回の旅行につながった。メンバーは二組の夫妻と単身組2人の総勢6人、エストニアの首都タリンを出発点に三国縦断800キロメートルに点在する観光スポット訪問のドライブ旅行とあいなった。 |
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バルト三国
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エストニア共和国 | ||||||||||||||
人口:137万人、首都:タリン(40万人)、民族構成:エストニア人68%、ロシア人26%、他にウクライナ人、ベラルーシ人等。宗教:キリスト教(プロテスタント)、ロシア正教 | ||||||||||||||
首都タリンは13世紀に創設された港町。早くからデンマーク人の支配を受け、山の手はデンマーク人が築いた城を中心に発展し、下町は後から入植したドイツ商人が築いたもので、ハンザ同盟都市として発展した。旧市街を取り囲む城壁、教会、市庁舎、ハンザ商人の住居や倉庫等が中世の姿そのままで残されている。帝政ロシア時代日露海戦で敗れたバルチック艦隊が編隊された港町でもある。
山の手から見た中世風情の旧市街地 旧市街地の真ん中に鎮座するロシア正教教会 |
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ラトビア共和国 | ||||||||||||||
人口:238万人、首都:リーガ(76万人)、民族構成:ラトヴィア人58%、ロシア人30%、その他 ポーランド人、ユダヤ人等。宗教:キリスト教(プロテスタント、ローマカトリック)、ロシア正教 | ||||||||||||||
首都リーガは13世紀初頭に住民をキリスト教化するため十字軍騎士団と共に上陸したドイツ人僧正により創設された。13世紀末にはハンザ同盟に加盟し、町は急速に発展して行く。 教会や商家等旧市街地を彩る建築はこの頃建てられたものが多い。16世紀から19世紀にかけてポーランド、スエーデン、帝政ロシアの支配下に入り、特に帝政ロシア期には「ヨーロッパへの窓」として発展を極めた。
森林公園でくつろぐ屈託のない少女達 リーガが誇るアールヌーボー様式の建物 (この様式の建築が建ち並ぶ一角が同市の観光スポットの一つ) |
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リトアニア共和国 | ||||||||||||||
人口:348万人、首都:ヴィリニュス(54万人)、民族構成:リトアニア人83%、ポーランド人7%、ロシア人6%、その他 4%、宗教:キリスト教(ローマカトリック)、ロシア正教 | ||||||||||||||
13世紀半ばの建国。14世紀にはポーランドとの連合国家となり、15世紀前半にはバルト海から黒海にいたる大国に発展するが、16世紀後半にはポーランドに吸収される。19世紀初頭ナポレオン軍がヴィリニュス入城以来、ロシア、ポーランド、ナチスドイツ、ソ連の支配と他国支配が続き、1991年の独立まで過酷な歴史を辿った。 首都ヴィリニュスは典型的なカトリックの町でドイツ的な要素が強いタリンやリーガとは明確な、対比を見せている。バロックを中心としたさまざまな様式の建築が迷路のような旧市街全域に広がっている。 第二次大戦中、当時の首都カウナスに在った日本領事館の杉原千畝領事代理がナチスの迫害から救うため多数のユダヤ人に日本通過のためのヴィザを発行したことでこの国を知る日本人が多い。 北部にある「十字架の丘」 (ロシア人に処刑された人々を弔って建てられたというのが一般的な説)
14世紀に築城された湖に浮かぶ古城「トラカイ城」を バックに全員で記念写真 |