健脚二人、柳生街道をゆく

2005・08・22 
木下 勲(6R) 

 柳生街道の存在は、昨年四国の友人から初めて聞いた。インターネットで調べると、宮本武蔵や柳生一族が歩いた奈良から柳生までの街道で、奈良・破石町から円成寺までは「滝坂道」とも呼ばれている古い道だ。柳生から先は、伊賀街道を進みJR関西本線笠置駅に至る22km、7時間のコースだ。これらは、東海自然歩道の一部分に組み入れられている。最高地点は500mで問題はないが、夏真っ盛りでもあり、熱中症には十分気を付けなければならない。


柳生街道案内図(22km)


柳生街道標高図

  8月18日(木)7時30分、天気は晴れ気温33度。昔の剣客ならぬ現代の健脚二人、福間三郎君と私は、剣豪らが歩いたであろう柳生街道を終着点京都の「笠置の里」へ向けて、奈良駅前のホテルを出発した。
 前日正午、奈良入りし、待ち受けていた関西在住の松江高校8期同窓生4名の方々との懇親会を持った。卒業以来だから、約半世紀ぶりの再会であった。その楽しかった会合の余韻を残しながらの出発だ。盆地特有の暑さと聞いていたが聞きしに勝る暑さだ。
 途中コンビニで、暑さに備えて多めの水とおにぎりを調達。

懇親会のの様子はココをクリックするとご覧になれます。


奈良公園の鹿の大群


早朝の若草山

 地図を片手に郊外の「柳生街道」の標識を求めて歩き出す。右手に奈良公園、左手に早朝の若草山を眺めながら歩くこと30分、道路脇に、「柳生(東海道自然歩道)」の看板を発見。いよいよ民家を離れ、能登川の滝の音を聞きながら川沿いの石畳の古道を登り始める。


柳生街道への標識


柳生の里への第一歩

 道中の湧き水で湿った石畳の上り坂を慎重に登る。先ずは石切峠の「峠の茶屋」を目指す。この滝坂道の沿道には多くの石仏があり、それぞれにいわれをもつ。荒木又右衛門が切ったという首切地蔵もあった。9時55分峠の茶屋に到着、名物の草餅一個130円、自分でケースを開け皿にとって食す。セルフサービスだ。お茶は無料、持参の水の節約のため二杯を飲ませていただいた。


石畳古道


首切地蔵


峠の茶屋


名物の草餅

 11時15分、 コース中間地点の忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)に到着。ここは、運慶作の国宝・大日如来坐像などがあり756年開創の名刹だ。余りの暑さに隣接の茶屋に飛び込み、注文したかき氷をすくいながらおにぎりを食べる。


忍辱山円成寺

 後半の道は下りだが沿道の樹木が低木になるため今度は炎天に苦しめられる。民家の庭先をかすめ、田んぼの畦道のヘビを心配しながら歩くこと1時間、夜支布(やぎゆう)山口神社、南明寺、おふじの井戸を通過したところでまた急坂となる、ここは街道一番の急登の「かえりばさ峠」、したたる汗が眼にしみる。峠で一息いれ、下ると疱瘡地蔵、いよいよ柳生の里だ。行き逢う人も少ない。3グループ、5人だった。


ヘビに出くわした畦道


おふじの井戸

 柳生八坂神社を過ぎ、旧柳生藩家老屋敷前で休憩、自動販売機があり水を補給。ここは、柳生藩の財政を立て直した家老・小山田主鈴の屋敷で、堂々とした建物だ。最近まで作家・山岡荘八が住んでいたそうだ。左手うえに枯れた十兵衛杉を見て進む。阿対(あたや)の石仏で柳生と別れ、左手の道を笠置に向けて下る。京都府に入った。


旧柳生藩家老屋敷

同玄関

 柳生の里からゴール地点の笠置駅までは平坦な舗装道路、だが山道のように落ち葉の絨毯がないので体重がまともに膝にかかりこれまた辛い。15時55分ゴールの笠置駅に到着。柳生街道22kmを7時間で踏破したのだ。福間君の万歩計が56、000歩を指していた。消化した水は500mリットルのペット・ボトル5本。全てが汗になって衣服はびしょぬれ。駅前の「わかさぎ温泉」で汗を流して着替えをし気分を新たにする。18:30予定どうり奈良駅に帰着。

 長谷川忠雄君が奈良の雅びやかな料亭で快挙を祝ってくれた。ありがとう。

 来年は鹿児島・開門岳(922m)、熊野古道(手始めに、山の辺の道あたり)を計画したいと思っている。若き同士よ、参集あれ!