2004年10月3日
福間 三郎 9月9日付け朝日新聞夕刊 のスポーツ欄に「東大野球部に新風」という見出しが目に入った。何事かあらんと目を凝らすと松江北楠井一謄(いっとう)投手という文字が踊っている。 '02年春の選抜大会に21世紀枠で出場した松江北高校の楠井一謄投手が念願を果たし、今春、東大に入学、野球部に入って今秋の六大学のリーグ戦に登板の機会が与えられそうだという記事だ。 新聞によれば東大に甲子園経験者が入ったのは '83年以来、甲子園のマウンド経験者となると '82年以来のことで実に22年ぶりのことという。 私も当日、手に汗しながらテレビにかじりついたのを覚えている。海野佳子さんもその興奮ぶりをまた森谷喜男君がスタンドの松高応援団の熱狂ぶりをこの「随筆欄」で詳しく紹介してくれている。 早速、新聞記事を野球狂の木下勲君と森谷喜男君にメールで送った。森谷君からは折り返し、楠井君がその後、希望どおりの進路を歩んだか気になっていたとコメントを付して、 '02年3月11日付けの山陰中央新報の記事が送られて来た。松江北高がが21世紀枠に選ばれた時の特集記事だ。 当時、2年生のエース楠井君はインタビューで将来の夢を尋ねられ、「東大野球部に入り、神宮球場のマウンドに立ち、活躍したい」と即答している。今や死後となりつつある「文武両道」とはこのことだ。 私はこれら二つの新聞記事を読んで「楠井一謄」なる人物に会って話してみたいという衝動に無性に駆られた。時、あたかも六大学の秋のリーグ戦中、早速、木下勲君に連絡をとり、東大が出場するスケジュールを確認してもらい、10月2日の東大・早大戦を共に観戦することに決めた。楠井君に会えるチャンスがひょっとしてあるかもしれないと期待して。 試合開始1時間前、神宮球場内にある選手控え室を伺ったが、ガードが固くてとても入れそうにない。すると、運良く室内から一人の選手が出てきた.チャンス到来とばかり、彼を呼びとめ、身分を名乗って楠井君に会いたいと告げたところ、こころよく楠井君を連れ出してくれた。 もう高校生の面影はない。堂々たる体躯に日焼けした精悍な顔から白い歯がこぼれた。面会を求めた趣旨を説明し、松高のOBとして応援に来たこと、また、夢を実現させた心境を問うてみた。
楠井君はまだ1年生、東大野球部のように他校のそれと比較して部員が少ないチームでも1年生から人数枠に制約のあるベンチに入れるのは珍しいという。来年以降の活躍が楽しみだ。 |