福田春岳の古里写真紀行

2011.11.7 福田 熹  


 私、福田春岳が、帰松の度に必ず訪問撮影するスポットを紹介します。諸兄におかれましては既にご案内の通りだとは存知ますが、何かのご参考にしてください。

 そこは 大庭の里
 平成23年10月25日(火) 曇り、蒸暑い。松江東急インのフロントのお嬢さんに会釈して、JR松江駅前より一畑バス八雲行きに乗車、約25分程度、風土記の丘入り口で下車、徒歩約10分、国宝神魂神社に行く。とにかくホットする。私にとっては、最高の精神安定剤だ。景観はすばらしいとは云えぬが、どことなく京都の大原バス停より寂光院へゆく風景に似ている。まず、田園風景を撮影する。広角レンズでのんびりした雰囲気をだそう。



 途中、"八雲立つ風土記の丘"、"出雲かんべの里"あり、夢中になること間違いなし。さて、神魂神社の、ほぼ同じ寸法の大きな自然石を整然と敷き詰めた歴史の重みを感じさせる石段を登る。ハーンは大社造りの本殿のすばらしさについて、

 「静かで、清らかで、素朴で、自然で、しかも、いかなる無駄もなく一部のすきもなく引き締まって、鋭く冷気をこめて神魂神社は日本人の美しさの最高のものの一つだと思う」と感歎しています。なんとすばらしい審美眼と感性でしょう。

 今回は正面右側より本殿撮影。建物の古い歴史をイメージしてマイナス補正、絞りを浅めにしてカメラをセット、と その瞬間私にたいして如何にも "いらっしゃいませ"と言わんばかりに、 東方より陽が差し込み、社殿の一部を照らす。GOOD-CHANCEだ。

 落ち着けない、あわてて連続撮影する。ああ、前回のホーランエンヤの時と同じだ。"あわてる乞食は貰いが少ない"私は気軽にシャッターを押せない。なぜだろう? ついつい右手の人差し指に無駄な力が入ってしまう。勝手に自問自答した。ハーンは外人だ、私は松江で生まれて松江で育った者、しかも 雑賀小学校の六年間のうち、春、秋の遠足といえば 神魂神社、八重垣神社にほぼ決まっていて、ここは、私のフランチャイズだ。私はビジターじゃないんだ、だから、すばらしい写真を撮らねばならないんだ、と 結局無心になれないんだ。被写体の荘厳さに圧倒されていつでも 出来上がりは 観光写真になってしまう。



 ここより八重垣神社まで砂利道で、"はにわ道路"が整備されてる。徒歩で約12分ほど、道路両側のコスモスの花、たわわな柿の実が田舎風情を増幅させる。早く佐草の里へ行って松高1年時の担任佐草昭先生の奥さんが経営する食堂で"きつねうどん"でも食べよう、と歩を進める。食堂のあとかたもなく、モダンな木造のみやげもの屋に変身している。八重垣神社のはす向かいの土産物売屋の奥さんに、佐草昭先生の奥さんの消息を尋ねる。

 すると、一呼吸の後、"ああ 昭さんの奥さんも 一年前に亡くなられて寂しいもんですわ、この年にな〜と 知ったもんが おらんようにな〜と思い出して 涙がでていけんがね。どげしゃもないことだがねえ。今は昭さんの息子さんが、土産物屋を経営しちようますが、本人は東京におられーだけん、他人にまかせておられ〜ようですよ" 合掌。

 八重垣神社の奥にある"縁結び占いの池"、今や全国的人気を博す。観光案内本で通称"恋人占いの池"として紹介され、平日でもヤングレデイで賑わう、和紙の上に硬貨を乗せて池に入れるのに順番待ちです。時間によっては巫女が案内説明します。

 早く沈めば早く縁が結ばれる、と云いますが、なんと口の悪い者は早婚で早期離婚だ。ゆっくり沈むのは、熟慮に熟慮を重ねて結ばれるのだとも言います。そして池の中のイモリは二人の縁を結ぶ仲人だとも言います。私が雑賀小学校の頃は、池は汚くイモリが沢山いました。時代は変わる。池の周囲は整備され、イモリもいない。池の奥の高台より 幸せを求める乙女の敬謙なる祈りの姿を撮る。 フラッシュはたけない、失礼だ。若干暗めが景観に合う。



 本殿は明るく、ひらめく旗も派手、都会の観光神社の様子。砂場もきれい。如何にも観光客ウエルカムといった感じだ。同じ大庭の里の歴史的保存物件でありながら余りにも対照的な存在感です。



 私の結論、松江のアンバランス。橋北の茶道を中心とした整然性、橋南の熊野神社を含めた神道を中心とした古代性は、まさしく見事な対照だ。大橋川が両者の縁結びをしているかも。中欧のハンガリーの首都ブダペストは、"美しきドナウ川"が 異質なブダの町とペストの町を結んでいるのと、何処となく似ている。

 明日も来たいが、東本町"うなぎやくも"の女将から、宍道湖のしじみ採りの情報収集済みで早朝よりそちらの撮影が忙しい。

年内もう一度作戦練り直しだ。何時来ても私にとって大庭の里は特別な存在なのだ。(つづく)