喜寿を迎えて
水野恵夫(H28/04/23) 私は会社で車載部品の金型・設計・製作からプレス加工までを行う会社を、経営しております。
12年前(2004年8月31日付)山陰中央新報の島根県出身の経営者たちのコラムに「アジアへ日本製金型輸出」と題して投稿しました。以下にその文面の一部を引用させていただき、22年前の創業当時を振り返りながら、これからの生き方を見定めていきたいという思いで、77才の喜寿を迎えた感想を書き下ろしました。 電子部品製造会社(MBC)を55才で起業した。大学時代は証券論を学び、卒業後は証券会社に就職したが「肌に合わない」と、わずか半年で退社。コネクター端子等を製造する電子部品メーカーに就職した。 「いつか独立をしたい」という思いを持ちながら仕事を続けていたが、会社での責任は年々重くなる一方だった。 1993年個人的に投資していた電子部品製造会社が倒産、経営者は自己破産に追い込まれた。60才になったら定年退職と思っていたが、これは起業するチャンスだと思い独立を決断した。 退職金をつぎ込んで倒産した会社のプレス機械5台を買い取り、静岡県焼津市に工場を開設。電子機器の接続に使うコネクター端子の製造を開始した。当初から、最先端の物づくりにこだわり金型製作、プレス加工をおこなった。日本の金型を中国などに輸出する事業も行いアジアのグローバルな展開を目指していた。 まさに「ゼロ」からのスタートだったが、元の会社の先輩や付き合いのあった企業からの受注を引き受け、1年後には月産百万個のコネクター製造ラインを完成させた。 また、世界最大規模の端子メーカーから車載の心臓部ともいえる端子のプレス工程を受注したのが、今の成長に大きく貢献してくれている。 ( 以下原文省略 )
あれから22年、その間、世界の物づくりは大きく変化し、日本のセットメーカーもアジアへと海外シフトに大きくカジを切り出した私たちの業界にも現調化の波が押し寄せてきた。 新しい展開を察し、喜寿を迎えて、新たに海外進出を決意した。 2015年 3月 海外工場進出を起案した。 2015年10月 タイ国に子会社(MSP(Thailand)を設立した。 2016年 6月 操業開始予定。 日本の会社(MBC)は長男に譲り渡し、私はタイ国での新しい会社を成功させるためにも、これが始まりと考え、終わりなき道のりを歩んで参ります。 私生活では健康維持のため、体重を減らすことにしています。学生時代(60kg)の体重に近づける、今の体重を30%減らすことがノルマです。さて、今は何kgでしょう。ボケないための頭の体操も必要です。 「喜寿は人生の通過点に過ぎない」との思いでペンを置きます。
完
編集者からの一言 ご投稿いただいた20人の方々が喜寿を迎えてもなお前向きにゆったりと人生を楽しみ、かつ、社会貢献をされておられることを知って、学ぶことが多々ありました。 長寿社会を迎えて、我々には傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)のハードルが待ち受けています。 今後とも互いに健康を保って、これらのハードルを乗り越えて、世の為、人の為に尽くしてまいりましょう。 福間 三郎 |