喜寿に想う「虎キチの夢」
                        園山 征男 (27/08/01)

 来年3月に喜寿を迎えるからと言って格別の思いはないものの幼少時に描いていた老人の域を既に超えていることに相違はなく何か不思議な気持だ。
 早生まれのため低学年時はどうしても体力的には劣等感もあったが、高校卒業後1年の浪人生活があって大学から社会人としての1年遅れが実質的には目立たず却ってプラスになった。
 ご多分に洩れず悲喜交々の70数年を生きてきたが、その人生を良くも悪しきも支えてくれたのは野球ではなかったかと思う。
 以下に私と野球の密接な関係の一端について記してみたい。

元気な野球少年
 私と野球の出会いは戦後間もなく自然な流れで近所の上級生に誘われて始めたキャッチボールと三角ベースだった。自家手製の粗末なボール、バット、グローブ等を使い、今思えば規制が甘かった道路・校庭・空地の片隅で毎日暗くなるまで熱中したものだ。
 同じ頃、高校野球(旧制中学)、6大学野球(東京・関西)、プロ野球(職業野球)、都市対抗野球(ノンプロ)が順次復活し野球人気が次第に盛り上がるにつれ野球への関心は弥が上にも募るばかりであった。
 雑賀小学校6年生で正式な野球チームに加入し熱心な先生の指導の下、夏休み早朝7時からの練習が実り、秋の松江市小学校対抗野球大会で優勝、さらに第四中学校では2年生時に島根県中学校野球選手権大会をも制覇(3年生時は準優勝)、小学校・中学校と連続して勝利の味を噛みしめることが出来た。
 しかし、松江高校では入学時から野球部員として頑張ったものの3年間の戦績は秋の大会で2勝した以外はすべて1回戦で敗退、良い結果を残すことが出来なかった。これを機にプロ野球選手への夢を断念し選手生活にはピリオドを打ち大学進学に備えることとした。
 対戦した選手の中で後にプロ野球で活躍した境高校の米田(阪急・阪神で活躍した日本球界第二位の350勝投手)、大社高校の伊藤(阪神・西鉄で活躍した準レギュラ―外野手)、江津工業高校の宗近(広島で一時活躍した左腕投手)、米子東高校の義原(巨人で活躍したローテーション投手)、大田高校の黒田・竹下(巨人に入団したが二軍で終わったバッテリー)等の実力は当時から図抜けていた様に思う。

熱烈な阪神タイガースファン
 「200万円でも動かぬ藤村選手」の新聞見出しが躍った。1950年プロ野球が2リーグ制となり新チームがスタートした折の毎日オリオンズが当時ダイナマイト打線と評され最強軍団だった阪神タイガースの若林、別当、本堂、土井垣、呉等の主力選手をごっそり引き抜いた。さらに物干し竿打法で強打を欲しいままにしていた初代ミスタータイガースの藤村富美雄選手をも誘ったのに対して彼が「阪神から生涯動かぬ」と断ったエピソードを伝えたものである。。
 野球ファンとして子供心に藤村選手の男意気に感じ入り、以後阪神タイガースを応援するようになったが、比較的近隣出身の選手(米子の土井垣、鳥取の藤井、広島の藤村兄弟)に親近感を覚えたのも理由の一つである。
 阪神タイガースの本拠地甲子園球場に出かけるチャンスはほとんどないが、東京在住となった1970年代以降は後楽園球場・東京ドーム、神宮球場、横浜スタジアム、マリンスタジアムに年5〜6回は応援に出かけている。ただし、関東地区での阪神の勝率が余り高くないのが少々残念である。
 2000年代に入ってテレビの野球中継が地上波に加えBS・CS放送が加わりすべての試合の受信が可能となった。丁度第一の職場を退いた頃、新規にスタートした東京ベイネット放送に加入して以後、CS放送のスカイA、GAORA、Jスポーツ、日テレジータス、フジテレビONE等で試合開始から終了まで阪神のほとんど全試合を監督気分で応援観戦する様になった。
 敗戦時のショックは大きい反面、勝利の瞬間には妻とハイタッチ・ハグで喜び合い、翌早朝には近くのコンビニでデイリースポーツ(阪神の御用新聞?)を購入・読破するほどの熱の入れようである。


甲子園球場で応援(2011年)

孫を阪神フアンに育成中(2003年)

真摯な日本一願望
 1985年のプロ野球シーズン開幕間もない4月17日に行われた甲子園球場での対巨人戦、今では伝説ともなったバース・掛布・岡田のバックスクリーンへの3本連続ホームランが誕生して快勝、阪神タイガースの前途に明るい予感を持たせることとなった。
 そして同年10月16日神宮球場ナイタ―の対ヤクルト戦で優勝マジックナンバーワンとしていた阪神タイガースが5対5の引き分けで21年ぶりのセ・リーグ優勝を飾ったのは、正に春の予感が的中したものと言えよう。
 ネット裏で気分良く観戦し、妻と一緒に勝利の美酒に酔い球場から渋谷駅までの青山通りを六甲おろし(阪神の応援歌)とともに歩いた思い出が昨日のことの様に蘇る。
 日本シリーズでも全盛期の西武ライオンズを破り、後にも先にも唯一回の日本一に輝いたことは夢の様な最高の喜びであった。
 以後長期間の低迷を経て闘将星野監督を迎え、FAで移籍・入団した鉄人金本選手の活躍もあって2度のセ・リーグ優勝は果たしたものの、2003年と2005年の日本シリーズではダイエーホークスとロッテオリオンズに連続して敗れ悔しい思いが続いた最近の状況である。
 昨年(2014)はリーグ2位に終わったが、プレーオフで先ずは広島カープを甲子園で破り,次いで宿敵巨人を敵地の東京ドームで4連破し溜飲を下げた。しかし、日本シリーズでは又もソフトバンクホークスに敗れ日本一には手が届かず残念の極みとなった。
 今年は球団創立80周年の節目となる期待に満ちたシーズン、5月には巨人に次いで目出度く通算5000勝を達成することが出来た。
 その一方でスタート直後に躓き苦戦を強いられているが、セ・リーグ6チームが大混戦となる中、シーズンはこれからが正念場、最後まで諦めることなく日本一と言う最終目標に向かって奮闘して欲しいものだ。
 弱気で言う訳ではないが、今年敗れたとしても私は喜寿を超え,米寿・白寿までも応援を続け今一度日本一の夢を是非見たいと思っている。

阪神タイガースドリームチーム
 夢の又夢ではあるが、私が阪神タイガースの監督となり次の様なチームを編成すれば日本一どころか世界一をも勝ち取ることが出来ると確信している。
 私の野球人生70年の記憶に基づくものであり、不朽の大投手沢村栄治(巨人)の好敵手として著名な景浦将選手などを徴集しなかった点をお含み下さい。

    監 督     園山征男

    コーチ     藤本定義・星野仙一・中西太・和田豊
    先発投手    若林忠志・小山正明・村山実・井川慶・藤浪晋太郎
    救援投手    江夏豊・バッキー・山本和行・ウイリアムス・下柳剛 
    抑え投手    藤川球児・呉昇恒
    捕 手     田淵幸一・矢野輝大・城島健司
    一塁手     バース・オマリー・藤本勝巳
    二塁手     岡田彰布・今岡誠・鎌田実
    三塁手     藤村富美雄・掛布雅之・三宅秀史
    遊撃手     吉田義男・藤田平・鳥谷敬
    左翼手     金本知憲・金田正泰
    中堅手     赤星憲弘・別当薫 
    右翼手     真弓明信・ラインバック                                 


       次は平井永子さんにお願いします。