喜寿に思う
      熊谷 和恭(H27,3,20)
        
 新聞などで、「Aさん(77歳)が…」の記事を目にする。かなり年を取った人だなーと感ずる。そう感じている自分が喜寿を迎えたのだが、それは自分にとっては単なる数字であって、新聞記事の77歳とは全く感覚が異なる。
 人生60年の昔からみると、長生きしてよかったという思いが、年をとるとともにますます強くなっている。というのは、元中学校教員という職業から、ここ数年、成長したあるいは老境に入りつつある教え子たちとの新たな出会いがあり、想像もできなかったような世界が開け新しい力をもらっている。
 喜寿を迎えた1月、教え子たちの同窓会が二回あった。一つは、42歳の祝い、もう一つは還暦の祝いであった。還暦同窓会では、私の喜寿祝いとして花束を贈呈された上、幹事反省会にも招いてくれた。個人的にも交流のある連中なので遠慮なく出かけた。10人ほどの集まりであったが送迎までしてくれた。二次会のカラオケルームでは、昔の思いで写真、先日の同窓会のスナップなどをDVDにまとめたものを見せてもらった。DVDは、出席者は勿論、今後の同窓会出席者拡大のため欠席者にも送ることを決めていた。
 それから数日後、私の満76歳の誕生日の1月24日に小包が届いた。私の喜寿のお祝いにと、48歳の教え子がネクタイをプレゼントしてくれた。彼女は、これまで、まさに筆舌に尽くしがたい波乱万丈の人生を送ってきたが、その旅路の果てに漸く7年前にO市に落ち着き、結婚し、5月に3歳の誕生日を迎える女の子を儲けた。身ごもってから、高齢出産を心配する彼女から何度も手紙がきた。その都度、それなりに助言したが、切迫流産のおそれで入院した時、「人間は子供を産むようにできているんだから心配するな!」と励ました。
 このようにして、いまだに彼女とつながっていることに師弟関係の神秘さを感ずる。そういう絆を構築するのは、やはり人間同士の「信頼」だということを今更ながら彼女に教えられた。この年になっても人間関係の奥深さを学ぶことができるのは、このような出会いに負うことが多い。
 真新しいネクタイを締め新鮮な気持ちで喜寿を迎えながら、この節目であらためて感ずるのは、健康寿命維持には暇な時間をつくらないということである。とにかく、ボーっとテレビの前で過ごすのが一番老化を早める。
 私は今、色々なことに挑戦していて、自分で勝手に7種競技と称して、気力と体力を衰えさせないために、バランスよく実行しているつもりである。内容は、表装、囲碁、水泳、ゴルフ、野菜作り、創作、そして地域貢献である。年齢と共に、撤退を余儀なくされそうな種目もあるが、もうしばらく続けたいと思っている。
 その中のひとつが15年に渡って続けている表装である。これまで手掛けてきた掛軸、屏風、扁額、巻物、パネルなどの作品は100点を超えるが、折角の機会なので今回その一部を紹介したいと思う。

古布遊び展…妻と妻の友人、義理の兄など5人で大東の古民家で催した
   パッチワーク・表装などの展示会(その1)

パッチワーク・表装などの展示会(その2)


  新作表装 …教室作品展示会を報道した山陰中央新聞の記事

 三段表装 …山陰中央の高僧名僧展で購入(法隆寺:大野玄妙書


仏表装  …曹洞宗(我が家)の六字名号

知人に頼まれた四国霊場めぐり

  この原稿にとりかかっているころ、3月10日夜、明治大学マンドリン倶楽部のコンサートに出かけた。43年ぶりの松江公演の演奏にしばし酔いしれたが、熱演される指揮者の甲斐康文氏の年齢が気になった。後で、私と同年齢(昭和14年生)だと分かった。いまだに若い学生たちと、こうして地方公演にも出かけられ、現役の活動を続けておられる甲斐氏の姿に、また新しい力を頂いた。

次は高橋貞夫君にお願いします。