平成21年7月6日
福間 三郎 去る6月27日、21年度の「東京松江会」の総会が虎ノ門の霞ヶ関会館で開催され、我が8期生から水野恵夫君、藤江淳美君、木下勲君、私福間三郎の4名、女性側からは松江観光大使を務めている斉藤比瑳代さん、野坂美喜子さんの6名が参加しました。 松浦松江市長始め市側からの参加者も含めて総勢150名もの参加があり、NHKの連ドラ「だんだん」やホーランエンヤ等の話題も盛り沢山で例年にも増して熱気に包まれた総会でした。以下に様子をお伝えします。 松平直壽会長ご挨拶 先ず、冒頭に松平会長が挨拶に立ち、ホーランエンヤが成功裏に終わったことに対し松浦市長に労いの言葉が述べられ、併せて、同市長が今回の選挙で苦戦を強いられた点にも触れられ、今後は松江が持っている人材、自然、歴史などあらゆる資源を有効活用し、目に見える形で成果を挙げ、日本一魅力ある街づくりに尽くしてもらいたいとエールを送られました。
松浦正敬市長ご挨拶 松平会長の激励を受けて、松浦正敬市長から日本一の町づくりを目指す抱負の開陳がありました。
三島進松江市議会議長のご挨拶 次いで、三島松江市議会議長が登壇し、松浦市長の抱負を踏まえて、中海・宍道湖の水問題に触れ、森山堤防の開削工事が終了し、中海、宍道湖の水がきれいになったのを契機にかねてからの懸案の大橋川改修工事を進め、日本一美しい水辺をつくりたいとの意志表明がありました。
来賓の方々の挨拶が終わったところで、本日のメイン・ゲスト、1992年、競泳史上最年少の14歳でバルセロナオリンピックの200メートル平泳ぎで金メダルをとり、日本中を興奮の渦に巻き込んだ岩崎恭子さんが登壇し、司会の武田志乃さんのインタービューを受ける形で語られました。 彼女は雑誌企画の取材で松江を訪れて以来、すっかり松江フアンになっていただき、ご自分のブログでも松江の観光PRを積極的に発信していただいているのがご縁で本日のゲストに招かれたものです。 彼女の生い立ち、バルセロナで金メダルを取った時の感激、「今まで生きて来た中で、一番幸せです」の名セリフを発した背景、次のアトランタ・オリンピックまでのプレシャーの中で学んだこと、若くしての引退など武田志乃さんの誘導質問に答える形で、おもしろく語ってもらいました。なお、現在は日本オリンピック委員会環境アンバサダーの肩書の下、スポーツと環境問題に取り組んでおられます。また、2016年の東京オリンピック招致のための運動にも力を注いで行きたいとしてインタビューを終えられました。 武田志乃さんのインタビューに答えて語る岩崎恭子さん 星野宗保島根県人会長の乾杯の音頭で懇親会に入るや、一気に席が緩み、それぞれに杯を交わし、旧交を温め、また、名刺を交換しながら、新しい知己を求める輪があちこちにでき、会場の雰囲気は熱気に包まれました。
金メダリスト岩崎恭子さんを囲んで
なお、意気盛んな8期生軍団 懇親会の途中、声楽家大岩誓子さんのリードでNHKの連ドラ「だんだん」の主題曲「♪いのちの歌♪」を全員で合唱し、会を盛り上げました。
胸をよぎる愛しい人々の温かさ この星の片隅で めぐり逢えた奇跡は どんな宝石よりも 大切な宝物 泣きたい日もある 絶望に嘆く日も そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影 二人でうたえば 懐かしくこみ上げる ふるさとの夕焼けの 優しいあの温もり 本当に大事なものは 隠れて見えない ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある いつかは誰でも この星にさよならを するときがくるけれど 命は継がれてゆく うまれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと そのすべてにありがとう このいのちにありがとう |
山本廣基島根大学学長のご挨拶 合唱が終わった後、本総会に特別参加された山本島根大学学長の挨拶があり、島根大学の現状を紹介されました。学生・教職員合わせて約8,000人、収支規模約273億円、県全体への波及効果は約400億円に達し、地域経済に大きく寄与していること、また、「地域に根ざし、地域社会から世界に発信する個性輝く大学」を目指し、松江市の文化、学術の中心になって、市の発展に寄与したいともアッピールされました。
また、大正末期に旧制松江高校の外国人向け宿舎として建てられた「旧奥谷宿舎」を建設当時の姿に修復し、大学の歴史資料を展示するミュージャムや公開講座、また、地域の交流の場として活用したいので、皆さん、帰省の折は、是非立ち寄って頂きたいとの要望表明がありました。 松浦市長と山本学長を囲んで 松浦市長には 斉藤さんと野坂さんが松江の観光大使を務め、微力ながら、松江のPRに励んでいること、また、8期生のHPは全国版に成長し、松江のPRに大いに貢献していることをアッピールし、喜んでいただきました。 早稲田大学野球部坂本力也君 最後に登壇したのは、早稲田大学野球部に4年間在籍し、一貫してピンチ・ヒッター要員としてベンチを温めとおした坂本力也君。、司会から感想を求められるや、島根県の野球のレベルはまだまだ低いが、島根県人特有の根性と粘りでもって4年間頑張り通したと堂々たる体躯を揺すって語ってくれました。坂本君が社会人になってもその根性を貫き通して大成されることを皆んなで願って会はお開きになりました。
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