平成18年12月12日
高橋貞夫 ご案内のように、8期生同窓会が毎年11月23日に開催されることもあり、10年置きに開催される双松会記念総会には8期生からの参加は少ないのだが、今回は定年を迎えた遠来の同期生に会えるという期待、私は出席するようにしている。 さて、総会は(1)記念総会(2)記念講演(3)アトラクション(4)懇親会の4部から成り、記念総会は元山陰放送のアナウンサー栗原康郎氏(13期)の司会で進められた。双松会副会長山本隆志(6期)の開会の言葉、物故者慰霊黙祷に続き、双松会会長松本幹彦(1期)の挨拶があった。明治9年(1876)殿町に教員伝習校の変則中学科を創設したことに始まり、現在までに4万有余の卒業生を輩出し、「質実剛健、文武両道」をモットーとして、島根県の高等学校教育をリードして来たことの自負と伝統を双松会としても引き継いで行きたい。また、本年10月「双松会」6番目の広島双松会が設立されたこと。双松会の活動に中心的に活躍されて来た影山一功朗氏(2期))が逝去され、誠に残念等の挨拶があった。 松本幹彦双松会会長のご挨拶 佐藤校長先生の近況報告 功労者表彰
最後に校歌斉唱は旧制中学の「赤山健児の歌」「松江北高等学校校歌」がCDをバックに高らかに歌われた。松高校歌は北校校歌と同じ調べで最後の「松江高校ここにあり」が「松江北校ここにあり」と変わっただけだ。私の後ろの女性が「この歌を唄うために来たんだから」と話しているのが聞こえて来た。
総会は青山幸子双松会副会長(7期)の閉会の言葉で終了した。 第2部の記念講演は13期卒、現株式会社商船三井代表取締役社長芦田明充氏の「海運を通して見た世界経済」と題する講演であった。 陸上競技部を指導しておられた兼折博先生が大東から汽車通学の上、陸上部で活躍していた芦田氏を紹介、松高が自慢できる逸材だと胸を張られた。
芦田昭充氏を紹介する兼折博元校長先生 講演は松高生活から始まり、大学、社会人としてのマイペースでの生活で、現在、大会社の社長になったことをさり気なく披露した後、いずれ郷里に帰って来たいものだとのリップ・サービスも入った。本題では日本のODA(途上国向け経済開発援助)を名実共に感謝している国もあれば、賠償の後払いだと口にする国もあり、また、代金回収に関しては中国国営企業の不払い、倒産という意図的行為で欠損を出したこと。その防衛策として、代金決済国を第三国にすることにしたこと。メーカーの話として衛星を使って不払いの重機のエンジンを日本から切ることが出来ること等、の裏話も聞いた。ロシアではワイロが国家予算の2/3相当も使われている実体がある等、信じがたい実情を耳にした。いずれにしても、日本経済存立のためには平和的環境が絶対的に必要だとの認識を強調された。 熱弁を振るう芦田昭充氏(13期卒) 第3部のアトラクションは北校弦楽同好会によるモーツアルトとブリークの作品の演奏、合唱部は全国学校音楽コンクールの出場自由曲の無伴奏合唱曲を披露した。
さて、会場を隣に移して懇親会が4時半より催うされた。スピーチは東京双松会会長代理岡弘道氏(3期)、近畿双松会会長山本雅昭氏(7期)、乾杯は双松会顧問金築修氏(中学61期)のご発声で行われた。懇親会の模様 「宴たけなわでございますが」との司会の声で中央に目をやれば兼折博先生のご発声で万歳三唱になった。酒が入って大丈夫かと訝る私の心と相違してかくしゃくとして先生は登壇された。私の計算が間違いなければ91歳になられると思うのだが。 終宴の後は各期三々五々、2次会に流れた様子。 |