悠久の都 西安を訪ねて

平成17年4月24日 
福間 三郎 
片山  洋  

 4月14日から3泊4日で片山洋君と彼の友人野中信博君と共に中国陝西省西安を訪ねた。反日デモが連日報道される中、一抹の不安を感じながら成田を飛び立ったが、我々を案内してくれた片山君の西安在住の友人(中国人)の気配りといつものメンバー3人組の息もピッタリ合って、楽しい旅となった。

 西安は中国中央部陝西省(せんせいしょう)の省都で中国5000年の歴史の発祥地として知られ、世界4大古都の一つに数えられる都市である。歴史上、周、秦、漢、隋、唐など13代の王朝が延べ1080年にわたりここに都を設けたが故に数多くの名所、旧跡がある。主だった史跡を駆け足で訪ねたがいずれもそのスケールの大きさに圧倒され続けた4日間であった。

【秦の始皇帝陵】
 西安市の北東40km地点。紀元前200年代、中国最初の統一王朝を作ったことでその名を残す始皇帝の墓。そのスケールは世界第3位。高さ47m、一見普通の小高い山に見えるが36年を費やして人力で土を盛り、造られた墓である。盗掘に備えて墓室の天井から自動発射ができる弓矢が仕掛けられているそうである。


秦の始皇帝陵
【兵馬俑博物館】
 始皇帝陵から東に1.5km地点。1974年一農民がその存在を発見。始皇帝を守るため地下近衛軍団が配置されたもの。1号坑、2号坑、3号坑あり現在も発掘が続いている。1号坑が最大で長さ230m、幅62m、深さ5m、総面積1426u、兵馬俑の数約6000体。坑の上にはドーム状の屋根が敷かれ、そのまま博物館となっている。兵馬俑の身長は1.8m、顔の表情はそれぞれに異なり、身分によって服装も異なる。当時の製陶技術に驚かされる。


一号坑博物館の前にて

一号坑の兵馬俑群

始皇帝の専用車 銅車馬(実物の二分の一)
【華清池】
 始皇帝陵の手前10kmの地点で中国屈指の温泉地。歴代皇帝が保養地として利用したことで知られる。唐代(6世紀―10世紀)の第6代皇帝玄宗皇帝が天下の美女楊貴妃と歌舞音曲と酒楽に耽ったことはつとに有名。


華清池全容
【法門寺】
 西安市から西北120km地点。1800年以上の歴史を持つ寺。後漢の100年代に建立。13層から成る塔が有名。インドのアショカ王から送られた仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するために建てられた。1987年に地下宮殿が発見され、仏舎利をはじめ金、銀、ガラス製品、絹織物、陶磁器など多くの文物が掘り出され、敷地内の博物館に展示されている。


法門寺の13層の塔
【乾陵】
 唐代3代の皇帝高宗と中国唯一の女帝則天武后の合葬墓。自然の山を利用した墓である。長さ500mの参道に建ち並ぶ120余の文武百官の石像から、則天武后の権力の偉大さが想像できる。


高宗と則天武后の合葬墓(バックの山)

500mの参道
【西安市】
 3000年以上の歴史を誇り、13の王朝の都が置かれた都市(昔の名前は長安)。最も栄華を極めたのは唐の時代。シルク・ロードの起点としても知られる。現在の人口は650万人。37の国立大学が集中する学術の街でもある。また、市の西南部には巨大な工業団地が設けられ、外資系企業が多数進出し家電製品や情報機器などを製造している。

 西安市は、また、城壁の街としても有名。現在の城壁は唐代の長安城を基礎に明の時代(14世紀―17世紀)にレンガを積み重ねて築かれたものである。長さ13.7km、高さ12m、底部の幅15m、街の中心地を囲んでおり、その規模は中国一を誇る。東西南北に四つの城門があり、シルク・ロードの起点としての西門が特に有名である。
 

西門の二重楼


城壁沿いの土産店

 多くの史跡の中で、日中友好の原点というべき二つのスポットがある。遣唐使として当時の都長安に渡り、科挙に合格しエリート官僚として唐朝に一生を捧げた阿部仲麻呂をしのぶ記念碑が建つ興慶宮公園。彼が望郷に駆られて詠んだ歌「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」と記念碑の側面に刻まれている。
 もう一つは空海(弘法大師)が密教を学んだ青龍寺。1981年に日本仏教界は中国側と協力し、5層よりなる空海記念塔を建立し、千本の桜の木を寄贈した。春には満開の桜が地元の人を楽しませる。
 いずれも日本人観光客の定番スポットになっている。


阿部仲麻呂記念碑


桜と空海記念塔

 メイン道路には日本ではあまり見かけない新緑鮮やかな街路樹がみっしりと植わっている。その名を問うと「槐(エンジュ)」で西安の木だという。海野さんの最近のエッセイを思い出した。因みに西安の花はザクロの花だという。


街路樹が美しいメイン道路

槐の成木

  16日の夜、お世話になった賈(ジャーさん)とその友人達を招いて北京料理で返礼宴をもよおした。言葉は片山君の中国語と野中、福間の英語。会話の中で家族の話が出ると、「愛人(アイレン)」という言葉がひんぱんに出てくる。意味を問うと夫婦間の連れ合いを中国語で愛人と表現するという。ならば、日本語で言ういわゆる「愛人」は何と表現するかと愚問を発したら、賈さんの女友達が顔を赤らめて、「情人(チンレン)」と教えてくれた。「愛人」、「情人」共に言いえて妙だ。漢字文化の面白さを教えられた次第。


草の根ベースの日中友好宴

【西安雑感】(片山洋記)
 私にとっては8年振りの西安だったので、何かにつけて前回と比較してみたくなった。もちろん、初めて訪れた所もある。思いつくままに雑感を記してみる。

〔名所旧跡周辺〕
 西安は京都と姉妹都市を結んでいるように、長い間、中国の政治、経済、文化の中心だった。従って、数多くの名所旧跡があるが、ここ数年特に周辺環境の整備に力を入れ、道路周りの植樹、緑地化が目についた。桐や槐(えんじゅ)の若並木が多く、何年か後には"杜の都西安"になっているだろう。また、煙草好きの中国人は何処に行ったかと思うほどポイ捨ては見当たらない。
 大雁塔などの夜景も素晴らしく、お節介にも電力事情を案じたりした。

〔新名所―大唐芙蓉園〕
 出発前に新聞の特集記事で、4月11日に大唐芙蓉園という皇城復興計画の最大の売り物が開演することを知った。記事では"周囲4kmの湖を取り囲む云々"となっていたので、在日の西安人の知己にその湖の所在を尋ねたが場所が定かでない。
 それは尤もなことで、行ってみたら人口湖であった。こんな大事業を比較的短期間に完成できるのは、やはり土地が国有だからな?と羨ましくさえ思った。その大唐芙蓉園というのは、広大な敷地に唐時代の皇帝の"花園"を蘇らせた所で、敷地内には古風な建物が配置され、ホテルや劇場もある。電動車で一周するだけでも"値得一看"である。

新名所 大唐芙蓉園


園内を廻る山車

〔道路事情〕
 高速道路は驚くほど整備されて来ているが、城壁内の道路の横断歩道等には信号が少なく、我々"お上りさん"は怖くて独りでは足が竦む。ただ車が多いからではなく、通行方式(車は右)の違いもある。早く、世界共通方式にしてもらいたいものだ、人命に関わる〜〜。あちこちで車の接触事故を見かけた。

〔中国語、日本語、英語―お買い物〕
 ガイドさん付きの場合は問題ないが、一人で買い物をしたりする場合、言葉で意思を表現しなければならない。今回感じたのは、比較的好日的で日本語の分かる人が結構いるということ。片言の中国語と日本語と英語で文化交流ができたことは楽しかった。中国語は特にアクセントがはっきりしているし、発音が微妙なので少し間違えると変な顔をされたが、懸命に理解してくれようとするのでなんとかなった。お買い物は値切りが面白いが、意外に役に立つのは、口ではなく手(指による数字表現)だ。

〔食彩――食は郷に在り〕
 中国には、"食は広州に在り"とか、四大料理とか各地にそれぞれ名物料理があるが、法門寺に行ったとき門前で食した野菜料理は日本では見かけない野菜や麺を中心としたもので、その"味道"は"最好吃"であった。
 味は淡白で、素朴な風味が漂い、まさしく"地方菜" "一口菜"そのものであった。"関中"と呼ばれた豊饒な地域の食材はさすがだと感心した。


門前で食した野菜料理


日本風蕎麦

〔遺跡――眠れる地下遺産〕
 悠久の都西安(明の時代までは長安と呼ばれていた)は、東西文化交流の拠点としての国際都市であったので、幅広い文化遺産が残っているが、その多くは20世紀に入ってから発見されたり発掘されたものである。そして今でも、始皇帝陵の地下宮殿のように確認されているが文化保護のため未発掘のものもある。そして、またまた発見というような地下資源、いや地下遺産も眠っていることだろう。また、訪れてみたい地である。

 稚拙な訪問記に換えて版画を彫ってみた。しかし、これまた駄作。まあ、両者併せて西安の雰囲気を少しでも感じとってみて下さい。


●大雁塔(唐時代に創建)               元奘がインドからシルクロードを通って持ち帰った経典を保存するために創建された。      


●跪射俑(秦時代に作造)
始皇帝陵2号坑より出土された跪式の歩兵俑で跪いて弓矢を引く下級兵の姿が印象に残った。

  しばらくは反日運動もあるかもしれないが、もともと中国は歴史的には日本の兄貴のような国、兄弟喧嘩もほどほどにして仲良く付き合っていきたいものだ。                                                               



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