短歌への思い
平成28年1月1日 福間(樋野)美和子(6R)
私は少々短歌をたしなんでいますので、その「短歌への思い」をちょっと書いてみました。 山を見たり、湖を見たり、空を見たり、花を見たり、木を見たり、鳥を見たり、美しくても、美しくなくても、心を動かされ、短歌がうかびます。いい歌が一首できると最高の喜びです。いい歌はあまりできません。 へたな鉄砲 数うちゃあたる!です。 五・七・五・七・七 歌は心の「カタルシス」です。 短歌を始めて十年あまり経ちます。毎月十首ずつ作っています。一年間に百二十首、十年で千二百首、これが財産と言えば言えるかもしれないです。 次は私が詠み、「歌林」十二月号に載せた最近の十首です。 やはらかき孫のからだを胸にだきそのぬくもりをそっといとしむ 口あけてキャッキャッと笑う一歳児まっ白の歯が六本のぞく 我の歯は一本ぬけてまた一本枯れ葉のごとくぬけておちゆく バイバイと手をふりやれば一歳児かはゆき笑顔で大きく手をふる 縁で飲む熱き茶うまし晴れた日は庭の小雀なかまにいれる 見あぐればあつき雲間にのぞく空ひかりをもちて青くすみたり 一戦を交へしあとの物憂さをスーパームーンにポンと投げあぐ 蘖を一本のこして庭桜はかなくなりぬ昭和が消える 幾重にも厚き皮まき棕梠の木は高く伸びすぎ庭から消える もう一度歩いてみたし三人で朝夕通ひし通学の道 最後に、大伴 家持が詠んだ万葉集の一番最後の歌、四千五百十六番目の歌を紹介して終わりにします。 あらたしき年のはじめのはつ春のけふ降る雪のいやしけきごと 本年が皆さんにとって良き年になりますようお祈りします。 短歌会歌誌「歌林」平成二十七年十二月号の表紙 |