箱根旧街道石畳西坂みちを下る

2005・07・23 
木下 勲(6R) 

 今日は往時の旅人になり、箱根峠から三島に向けて下ることになった。この目的は、昔の旅人の苦労を肌で知り、街道筋の遺跡を探訪し、そして最後に三島のうなぎで胃袋を満たすことであった。これに惹かれて集まったメンバーは、司馬遼太郎ファンの和久理光正君、初参加の歴史好きの藤江淳美君、いつもの福間三郎君。それに私の山仲間、川北肇さん、山本圭吾さんの総勢6名。

 集合は、7月21日(木)9時30分小田原駅東口バス停B(箱根町行き)。江戸川の向こうから新幹線に乗り換え2時間前に着いた和久理君、興奮して昨夜は眠れず1時間前に着いた藤江君の両君には、恐れ入りました。9時44分発のバスを箱根町で三島行きに乗り換え、11時芦ノ湖カントリー入口に到着。ここは箱根峠、海抜846m。天気は、晴天なるも遠方は霞んで富士山は見えない。国道1号を横切って、旧街道入口へ。しかし、ここは交通量が多いうえ、信号も横断歩道もなく危ない所だ。

箱根旧街道西坂みち(13km)


伊達男4人組いざ出発(短足は健脚)

 11時5分いざ出発、最終目的地の三島大社を目指す。箱根八里というが、その半分の西坂を下るだけだから、今回の散策は四里、約13kmの行程だ。国道から舗装道路を200m進むと、左に石畳の 道があった。ここからは、三島市が江戸時代の街道を復旧した石畳の散策路が、三島の入口まで続く。両側は杉木立になり、日陰の中ヒグラシ、ウグイスの鳴き声に押されるように下る。接待茶屋跡を過ぎ、甲の形をした甲石を右に見る。平日のせいか、ほかのグループがいないので、石畳の真ん中に腰を下ろし各自持参した弁当を食べる。


石畳道(凹凸があって歩きずらい)


甲石

 12時5分出発。しばらく歩くと、雲助徳利の墓が現れた。酒好きな雲助の頭領の死を悼み、仲間が建てた墓で、墓石の前面に徳利が浮き彫りになっている。面白い墓だ。歩道橋を渡ると、山中城跡。小田原城の出城だったとある。樹齢600年の大カシ、畝堀、本丸跡、樹齢500年の矢立ての杉を見る。城跡を出ると、こわめし坂、臼ころばし坂などと面白い名前の坂が続く。しかし、この辺りからは炎天下の車道歩きが多くなり、辛い。


カシの大木(樹齢600年、根回り9.6m)

杉の大木(樹齢500年 木高31.5m)
山中城跡の畝堀跡

炎暑の車道歩きは辛い

 国道の両脇に土を盛った一里塚がでてくる。ここから、松並木になりほっとする。大場川を渡ると、いよいよ三島の市街地だ。疲れも出始めた。三島大社の鳥居が、なかなか現れない。それもそのはず、真横から接近していたのだ。15時30分お参りの後、記念撮影。


一里塚


三島神社本殿前で

 そこから5分、三島暦の伝統、技能を伝承しようと開設された「三島暦師の館」(みしまごよみしのやかた)へ。元会社の先輩で、ボランテアガイドの西川勝美さんが、三島暦の由来、京暦との違い、月をもとにした太陰暦、太陽暦への移行などの説明をしてくれた。暦とは、今日はこの方角がいいとか、今日は何もするな(休業しろ!)とかの行動規範が書かれたものと理解。版木を使って、実際の三島暦の印刷もした。今、市販の暦は650円だが、その昔は今のお金で3000円くらいだったそうな。近々、平成18年三島暦を発行の予定とのこと。どんなのか、楽しみだ。

(暦をクッリクすると大きな画面で見れます)


三島暦師の館玄関先で(教養を深めて)

 17時15分うなぎの桜家で、6人分を予約し、近くの銭湯で汗を流す。サッパリしたところで、2階に通され、反省会。ビールで乾杯のあと、うな重を食す。やはり、なかなかの美味であった。来春は、登りがないという人のため畑宿からの登り、西坂は推定鎌倉古道に変え、地元の方が吉野桜に匹敵するという桜を眺めながら下り、また三島でうなぎを食したいものだ。

 今日は初顔合わせにもかかわらず、メンバーの格調高い知的な話題で話が弾み、最後は暦という学術的な話になり、いつもと違うまた楽しい旅になった。次回は9月、静岡・浜石岳からさった峠に下り、由井の桜えびか、あるいは青梅丘陵ハイキングコースを塩船観音まで歩き、門前のそばを食くしたいと思っている。                      



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