2004・12・25 木下 勲(6R) 私の低山ハイキングの原点の原点が、添付の記事である。最近になって、やっと探し出した。「田中澄江(注)と高水山」とでもいう、1993年7月4日の読売新聞・日曜版の記事だ。靄に煙る杉木立のカラー写真があったが、縮刷版の白黒で不鮮明になり割愛。初めなんとなく読んで、高水山がちょうどその春、吉野梅郷や地酒で思い出のある青梅市の山ということに魅かれた。ドライブ用の地図でみると、あの造り酒屋・沢の井の北でないか。これは、地酒の買出しをかねて、出かけねばなるまい。
途中、一合目、二合目を示す合目石というのがあり、頂上までの道程がわかり登りやすい。が、ただ漫然と登っていては、見過ごしそうなところもあった。四合目あたりまでは、石ころ道。六合目から、杉木立。雨あがりではあったが、靄ってはいなかった。
その後、足元を固め登山用の地図を携え、高水三山を巡り御嶽駅側に下りた。駅の直前、踏み切りを渡ったところに茅葺きの玉川屋という蕎麦やがあり、天ざるを食べた。あまりの美味しさに、以後下山のたびに、食べることになった。 そして御岳渓流の川べりを下り、沢の井で地酒を買い求めることも習慣になった。
まさに、「山のみちは蕎麦のみち、蕎麦のみちは酒のみち」となった。田中澄江さんの、「この山道は、人生とそっくりだ・・・」などという、高尚な感慨などの足元には及びそうにありません。 このような楽しみを与えてくれた高水三山が、私の低山ハイキングの原点である。その後、奥多摩の山々、高尾山界隈の山、丹沢、箱根、奥武蔵を、蕎麦と地酒を求めて、訪ね歩くようになったからである。 (注)田中澄江・・劇作家、小説家、エッセイストにして登山家。女性だけの山歩き同好会「高水会」を組織。山の著書に「花の百名山」がある。2000年3月、91歳にて没。 |