煙霧の那須岳登山
平成16年5月24日 福間三郎 5月19日、20日栃木県那須町北部に位置する那須岳登山を試みた。那須岳は特定の山の名称ではない。中枢部の茶臼(1915m)、朝日(1896m)、三本槍(1917m)がいわゆる那須岳とみなされ日本百名山の一つに数えられている。主峰の茶臼岳は1410年(応永17年)以来しばしば爆発を繰り返し、最近では1953年、60年、63年に活動を見せた活火山である。今回はこの3岳のうち茶臼岳と隣接する朝日岳を登頂する計画だ。 那須町の概略図 だが折からの前線の停滞と台風2号接近の影響で登山日和としては最悪、せめて茶臼岳でも登れたらと思いつつ、午前10時過ぎ東北新幹線那須塩原駅に降り立った。メンバーは常連の木下勲君、福間三郎に加えて和久理光正君、成相ゆり子さん、それに那須町に在住の川上裕子さんが加わって総勢5名。川上さん運転のホンダCRVで茶臼岳9合目のロープ・ウエイ山麓駅(標高約1600m)へ直行、11時過ぎ到着した。あたり一面ガスがかかっているものの頂上がかすかに望め、これなら茶臼岳頂上までなら何とかいけそうだ。 山麓駅(1600m)から眺めた茶臼岳、右隣りが朝日岳 ここからロープ・ウエイで4分、山頂駅までいっきに登る。時に11:30、一面ガスがかかっており周囲の眺望は全くきかない。山麓駅までの道筋では雨に洗われた新緑が目に染みたのにここ頂上付近は一木一草とてなく、大小さまざまの火山岩が散乱し、まるで月面を思わせる光景だ。幸いまだ雨は降っていないが何時降り出すか分からない状況なので女性軍には活火山の雰囲気をちょっと味わったところで引き返し、、那須高原のドライブ計画に変更してもらう。 頂上をバックにロープ・ウエイ頂上駅付近で 木下、和久理、福間はただちに、頂上を目指して登頂を開始。火山岩が散乱し硫黄の匂いが漂う中を、岩に印した黄色いペンキ印しに従って登って行く。勾配も結構きつい上、砂礫道で足が滑って思うように足が進まない。和久理君の激励に励まされ何とか12:10、巨岩が重なり合った頂上に到着。もし快晴であれば360度の展望が開け、那須連峰はもとより、会津駒ヶ岳や日光連山までのぞめるはずだ。だが一面のガスと頂上を中心とする3本の亀裂からの噴気で360度の眺望は全くきかない。岩陰に腰を下ろし急いで昼食を取り、記念撮影を撮って元の道を下り、山頂駅に帰り着いた途端に雨が降り出した。
頂上(1915m)にて 時に13:15、当初の予定では朝日岳登頂後、山麓駅からタクシーで塩原のホテルに駆けつけるはずだったが、朝日岳の登頂を諦めたため時間に余裕があり、山麓駅から出ているバスで14:00ホテルに向かう。乗客は我々3人でまるで貸切りバスだ。途中ヤマツツジの群生地として有名な八幡崎高原にさしかかったところでバスを止めてもらい、ヤマツツジをカメラに収める。運転手も心得たもので、運行中でも景勝地では乗客の求めに応じて写真撮影のためバスを止めてくれる。 八幡高原に群生するヤマツツジ 16:30、塩原温泉の「かんぽの宿」に到着。時を同じくして那須高原のドライブを楽しんだ川上さんと成相さんも到着。ここは山小屋と違ってゆっくり羽を伸ばせる温泉宿。18:00までの夕食時までたっぷりと温泉を楽しんだ。18:00から反省会と称して豪華な夕食会を開始、お酒のせいもあり、学生時代のエピソードの披露や和久理君が時たま発する暴露話でおおいに盛り上がった。 翌日の20日も残念ながら雨模様、予定していた昭和天皇がこよなく愛された沼原湿原(標高1200m)の散策を諦め、標高600m地点の深山ダム湖周りの新緑を楽しみ、併せて社会勉強もかねてダム湖に隣接する沼原揚水発電所の展示館を訪れた。揚水発電所とは深夜に余る火力や原子力の余剰電力を使って上流に建設された池に水を汲み上げ、電気を多く使用する昼間に水を落として電力を生み出す仕組みの発電所である。この発電所は昭和48年に福間が勤務していた電源開発会社が那須の自然を破壊することなく、世界に先駆けて建設した優れものである(発電所は地下式で地上では見ることができない)。ダム湖周りの新緑を堪能した後、13:00頃の東京行き新幹線を捕まえるべく、一路那須塩原駅に向けて 車を走らせた。 深山ダム湖畔の新緑をバックに 発電所展示館前にて 今回の那須ハイキングの旅は川上裕子さんの車の提供と道案内で実現したものである。この場を借りてお礼を申しあげます。ありがとうございました。 |