2003.12.6
小林 信生
快晴の12月4日(木)午前10時、木下勲君の呼びかけで、福間三郎君、小林
信生の3名が小田急線新松田駅に集合。今回は、箱根の外縁に位置し、頂上から富
士山が真正面に望めることで人気のある「矢倉岳」が目標で、木下君が周到に地図
と目的地の概要を事前に送ってくれたので、いっそうハイキングが興味深いものに
なった。
新松田駅から20分ほどバスに乗り、「矢倉沢」バス停で降りる。一日中、快晴
との予報であったが、少し雲が出てきた。山頂で富士山が眺められるか、ちょっと
気がかりなスタートとなった。
麓から見たおむすび形の矢倉岳―870m
長閑な田園風景を眺めながら、10時半に歩き始める。刈り取られた田圃、山の
南斜面のお茶やミカン畑などは暖かい日差しを受けて、12月とは思えないほどの
陽気だ。農道を抜けたあたりから、坂道は勾配を増す。われわれのほかは誰も見え
ない。「平日にこんなところに来るもの好きはいないのだろう」などと軽口をたた
きながら足は進んでいくが、しばらくすると息が荒くなり、きつい坂は続く。麓か
ら矢倉岳を見たときに、「きれいな形の山であればあるほど、登るのはしんどいヨ
!」と小林が言ったのが、どうも本人に的中したようだ。木下、福間両君はすいす
いと登っているように見えるが、風邪気味の小林一人が遅れ勝ち。後ろから誰かや
ってくる。「山の管理人」だ。つい先日、千葉の山奥で30人の熟年パーティーが
道に迷い行方不明になった事件があったためだろうか、高齢者のハイカーには懇切
丁寧に指導をしてくれる。入山・下山の時間、行く先などそれとなく聞いてくるが、
無理な計画なら見直しさせようという魂胆が明らかである。彼は山の中腹くらいま
で一緒に登ってくれたが、われわれの足が遅いのを見限って、先に行ってしまう。
急坂でほっと一息、眼下に広がる下界を眺める
約2時間ずーっと急坂を登り詰めて、12時半にやっと870mの矢倉岳頂上へ。
さっきの管理人がニヤニヤと笑いながら、弁当を食べている。われわれも枯れ草の
上にシートを敷いて、昼食にする。運がよければ富士山が目の前に勇壮な姿を見せ
るはずであったが、あいにく厚い雲がかかり裾野の稜線が少し見えるだけだ。時折、
演習中か、自衛隊の大砲の音らしきものが「ドーン」とこだまする。富士は見えな
かったが、箱根山、金時山、明神ヶ岳などを遠望しながらのおにぎりはまた格別で
あった。30分ほどで昼食を済ませ、午後1時に、次の目的地、足柄峠へと向かう。
矢倉岳山頂にて至福のひと時
足柄峠へは1時間ほどの降りと登りの連続で、午前中の登りよりは随分楽である。
途中、足柄万葉公園を通るが、昔の旅人がすばらしい景色に心打たれて歌を詠んだ
とされる石碑や木札が立っていて、タイムスリップしたような感じ。ここで木下君
が一句詠む。
『いにしえの、そのまたいにしえ人の歩き道、デジカメ撮りつつ、晩秋を楽しむ』
足柄万葉公園石碑の前にて
万葉公園から、富士小山に抜ける車道に出て少し歩くと、そこに足柄関所跡があ
る。諸国の旅人が厳しい詮議を受けたのだろうか。なんとなくもの悲しい雰囲気が
感じられる。
足柄関所跡からは、車道に沿って足柄古道が走っていて、ひたすらに、下り道を
たどる。この道がまた趣のある石畳の道で、深い木立を縫って険しい山道が続いて
おり、東西を往来していた昔の旅人を思い出しながら、「昔は、旅とは命がけだっ
たのだなー」と感嘆する。 |