郷里の秀峰 伯耆大山に登る

平成17年6月23日
福間三郎

  去る6月15日、郷里の秀峰伯耆大山に登った。メンバーはいつもの木下勲君、それに関東地方在住の木下君の山仲間3人と案内役として広島市から駆けつけてくれた佐藤富信君(6R出身)の総勢6名。天気は幸いにして晴れ、早朝、米子駅前から出る大山寺行きのバスで出発、大山登山口に08:40集合した。ここで今日のリーダーを務める佐藤富信君の出迎えを受ける。彼は若い頃より登山を趣味とし、大山登山は数え切れぬほどの経験を持つという。

大山全容 登山ルート:弥山(1711m)往復

  互いの自己紹介の後、佐藤リーダーより登山コースの特徴や注意事項の説明を受け、早速、頂上を目指して勇躍歩き出した。ここ登山口(標高750m)から標高差900mを登って、大山の第2峰、弥山(ミセン)頂上(1711m)を3時間で登る計画だ。


大山寺バス停にて 安全を願って全員で打ち合わせ


バス停から望んだ弥山


登山道入り口道標

  梅雨時でもあり登山者はチラホラ見る程度。まるで我々の貸し切り登山だ。土産物屋や宿坊が並ぶ大山寺参道を途中で右手に折れて山道に通ずる石段をゆっくり登ること15分、1合目(900m)地点に着く。このあたりから山道に丸太を埋め込んだ幅広の階段道に変わる。

最初の一歩はこの石段から


丸太を埋め込んだ山道

  このあたりは一面ブナやミズナラの大木に覆われた西日本一の自然林で新緑したたるトンネルを潜り抜けて行くようだ。3合目(1100m)あたりまでは比較的勾配が緩やかで、道幅も広く6人が団子になって楽しく語らいながら登れる。

  一面の新緑の中でホトトギス、ウグイス、アオゲラ、カッコウなどの大合唱が耳をつんざく。「鳴いて血を吐くホトトギス」の言葉どおり、ホトトギスは大声で<トウキョウトッキョキョカキョク>とけたたましく鳴き叫ぶ一方でウグイスが「ホーの音」を抜いて<ケキョケキョ>と競って歌いまくる。アオゲラ(キキツキ)がブナの大木をコツコツと口ばしでつつく音が山道に響きわたる。この自然林は鳥の天国でもあるのだ。


西日本一の規模を誇るブナ林


山道中腹に咲き誇るウツギ

   3合目(1100m)地点で一休みしていると、やや遅れて着いた盟友木下勲君が体の不調を訴え、これ以上は無理なのでここでリタイア-を宣言(いきさつは後記を参照)。戦場で傷ついた兵士を置きざりにして前進することにいささかの心苦しさを感じたが、下山時に合流することを約して、上を目指して進む。4合目(1200m)地点あたりから徐々に勾配がきつくなりはじめ、互いに口数が少なくなる。10:24、5合目地点(1300m)に到着。ここは以前遥拝所があり登山者が東から登る日の出を拝んで登山の安全を祈願した場所だそうだ。

4合目で佐藤リーダーと


5合目での朝日の遥拝イラスト

  このあたりから急にガスがかかってきて前方が霞んできた。10:43、6合目(1400m)に到着。山道の両側からブナ林は消えて低木帯に替わり視界が一挙に開ける。晴天なりせば、島根半島や隠岐ノ島が一望できる地点なるも、一面ガスがかかって絶景は望めなかった。ここまで登ると低木帯の中にチラホラ可憐な高山植物が目に入り疲れた身体を癒してくれる。

ダイセンレンゲツツジ


ダイセンイワカガミ

  しばしの休憩の後、7合目(1500m)を目指して行動を開始。日本海からの横風を受けながら、左側にガスに霞んで崩壊が激しい大山北壁が見えてきた。山道も瓦礫道に変わる。11:32、あえぎながら8合目地点(1600m)に到達。


崩壊が進む北壁をバックに

  8合目を過ぎるとややゆるやかな木製の道に変わる。このあたりに群生する天然記念物のダイセンキャラボクを保護するために敷かれた木道だ。あたり一面キャラボクの樹海は壮観だ。

頂上まで通じる木道


ダイセンキャラボクの樹海

  勾配が緩くなった木道の両脇のキャラボクを楽しみながら登ること30分、弥山の頂上下の避難小屋が見えてきた。軽くなった足を一挙に進めて弥山頂上に到着。時に12:15、予定どおり3時間で登頂できた。残念ながら、早朝の晴天は何処へやら、あたり一面、ガスと霧、360度の大パノマラは望めなかった。でも、大きなことをやり遂げた満足感は何にも変えられない。今後の更なる挑戦を心に期した。

  早速全員で記念撮影を撮って、頂上で昼食。真夏のシーズンならば登山客が満杯で5分も頂上におれないだろう。思い思いに視界が届く範囲をカメラに納め、12:50下山を開始。


頂上より望む大山南壁


大山弥山(1711m)頂上にて

 下山道は登ってきた夏山登山道をそのまま下山。要所要所で休憩を取りながら下る。かなりの急坂で瓦礫道もあり決して油断はできない。こんな急坂をよく登ってきたものよと我ながら驚く。佐藤-リーダーから山の現状の説明を道々、聞きながら下山は順調に進み、14:36、木下勲君が待っている3合目地点に到着した。すっかり快復し、顔色も良くなっていた。しばし頂上の様子を歓談し、14:43、出発点の登山口に向かって一挙に下山。15:38、大山寺に無事到着した。

  最後に佐藤リーダーから「登山のペースには各人それぞれに差異はあったが、各合目毎に後続者を待って登ったことが自分のペースを維持して無理なく登頂できた要因です」との講評をもらって今回の「大山登山」を締めくった。

 末尾にあたり、登頂はかなわなかったものの、今回の計画を6ヶ月前から綿密に計画してくれた木下勲君と関東地方から参加して盛り上げていただいた浜田達也、宮越弘、山本圭吾の3氏に心よりお礼を申しあげます。




<不登頂の記>

奇跡!梅雨真っただ中の大山登頂!
木下 勲

  「仰げば正し、出雲富士」(*).と何回歌ったであろうか。歌うからには、一回くらい登らねばと、会社OB仲間と松高8期生とのジョイント登山を計画し、実行した。しかし私一人が、「仰ぐも登れぬ、出雲富士」になってしまった。

  6月14日(火)、米子のホテルに集合。大山町の傘マークが12日からとれていたが、明日の登山を再確認し、はやばやと就寝。しかし、興奮して寝つかれない。日がかわってやっと寝たようだ。   6月15日(水)5時起床、弁当、飲み物を調達。朝食をすませ、7時40分発のバスで出発。登山口で、広島から駆けつけてくれたリーダー佐藤富信君と合流。8時35分、いよいよ登山開始。もみじ橋付近からは、頂上がよく見える。

 ところが1合目前の休憩後、ヒョイとリュックを担いだとき動悸が起きた。だんだん息苦しく、足も進まない。とうとう3合目で登頂を諦め、みんなの帰りまで待つことにした。

 という次第で、大山紀行文は福間三郎君にバトンタッチしました。

  (*)松江高校校歌の一節。松江高校8期生HP、「いにしえを偲ぶ」に歌詞、メロデーがあります。      



戻る