食事をより楽しむために    

2008.07.10
熊 谷 和 恭

 教員生活も終わりに近づいたある日、小学校のランチルームで1年生と給食を食べていた。
 パン食の日であったので、私がデザートのりんごをパンと共に食べていると、「先生、それはお楽しみだから今食べちゃだめだよ!」と、隣の女の子が抗議した。
 私は、以前からパンとりんごはよく合うと思っていて、一緒に食べることにしているものだから、びっくりして尋ねる。
 「エエッ!どうして?」「だって、そうなんだもの」
 「でもねー。りんごとパンを一緒にかみしめていると、口の中に甘さが広がり、パンがとっても食べやすいよ…。りんごでつくるジャムもあるでしょう」

 食事の時、出された料理を食べる順序は、好物を子ども(若者)は最後に、大人(中高年)は最初に食べるような気がする。 その理由は、おいしいものを初めに食べると、後の物が食べれなくなるからである。少なくとも私は、年令と共にそのように食べる順序が変わってきた。確かに私も若い時は、パン給食では、パンを先にたべておかずを後にしないと、全部食べるのが苦しいような気がしていた。ところが、年をとるにしたがって、折角の料理だから、まだ新鮮な舌の感覚の内においしいものを先に食べるのが理にかなっているように思い始めた。
 このことは、握りずしを食べる時から始まったように思う。若い時は、ウニ、トロなどを最後に食べたものだ。現に、私の息子や娘にもそのような傾向が見える。ところが40代を過ぎる頃から、まったく逆の順序に変わってきた。それは、「おいしいものは、最高の舌の条件でたべることにより、それがもつ最高の味を楽しむのが得策であると思うようになったからである。もっとも、嗜好の変化も関係があるかもしれない。そして、そのように順序を変えても食べる量はそう変わらず残さないことも分かった。
 さて、給食との関連であるが、職員室で今日の献立について食後、話題になることがある。やはり、パン給食は私を除いて皆さんには不評であった。しかし、当時の私には最高の健康食であった。ただし、半分は決められた中での選択であって、積極的に求めていないというやや甘い条件下ではあった。要するに、強制的にでも時々のパン食は、体のためによいということで、自分の嗜好よりも、体のこと、健康面を優先するようになった、即ち年をとったといことだったのである。
 その後も、家庭で時々パン食にしているが、それに馴染んでみると、以前ほどの抵抗感はなくなり、むしろ時には変化がありおいしいと感じている。慣れというのは本当に妙なものである。そういう意味で、食わず嫌いという言葉があるのだろう。
 飽食の時代に育つ子どもたちは、食べ残さないようにとの配慮もあり、デザートは最後に、おいしいものは最後にというように食べる順序までが習慣づけられている感があるが、自分にあった食べ方で、よりおいしい味を楽しむことができないものかと思う。 
 


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