人の心とは

2008.04.01
熊 谷 和 恭

 また、悲惨な事件が立て続けに起った。8人無差別殺傷事件、JR駅ホーム突き落とし事件である。無防備な市民を突然の不幸が襲う。人と人の信頼関係はもう過去のものだろうか。こうした事象に対しては対症療法的な手立てではなく、根本的、総合的な対策を考える時期が来ているという人もいる。そうかといって何をどうするかは大変な命題である。
 そこで、基本的なことに目を向けてみたいと思う。
 それは、10年位前の神戸の酒鬼薔薇事件の時、当時の文部大臣も取り上げておられたが、「心の教育」「命の大切さ」という視点である。
 その昔は、このようなことは改めて意識することなく、普段の生活の中で自然に培われていたように思う。しかし、現代文明はそうした人間の原点的なことも合理化の波で押し流そうとしているかのように見える。
 数年前、ある全国大会で茨城県自然博物館館長(元上野動物園園長)中川志郎氏から、「心が生まれるメカニズム」について次のようなお話を聞いた。
(1)猿は猿に育てられてこそ猿である。
 猿が一人前?になれるのは、@親子6ヶ月 A子供同士6ヶ月
 B異年齢集団1年の生活体験が絶対に必要である。しかし人間
 は多様な子育てがあっても、文化と教育の力でかなりカバーで
 きるのだが…。
(2)心は後天的に育成される。
 動物に育てられた野生児の事例をみれば明らかである。両親の
 言葉のシャワーを浴びなかった子は失語症になるケースもあ
 る。ある情緒障害の7ヶ月男児は、名前を呼んでも反応がなく
 表情にも明るさがない。原因は夫婦 すれ違い、そして親子関
 係が育っていないと考えられ、母親が仕事を休み、育児に専念
 した結果、1ヵ月後には声に反応するようになった。また、同
 様であった二歳の姉も言葉が出るようになった。
(3)心を育てるもの。
 生活の中での基本的生活習慣から育つ。特に、言葉の習得が重
 要である。 音声が内面化し心理化し、それに連れて心が育
 つ。「三つ子の魂百まで」は 言語習得、基本的生活習慣が精
 神の基礎になることを表している。お袋の味 を求める心も体
 験の習慣化であり、家庭の人間関係、言語環境の大切さを意味
 している。

 それでは、その「心を育てる」にはどうすればよいのだろう。
 私なりに次のように考えてみた。
 
(1) 感動体験を通して生命への畏敬の念を体得させる。
 自然との出会い(山登り、キャンプ、宇宙、植物、動物等)や
 涙を流す体験(お見舞い、お葬式、映画・演劇、音楽等)など
 が 浮かんでくる。私の場合、少年と動物の愛を描いた映画
 「愛犬プロミス」(小6頃)、「小鹿物語」(中1頃)を涙を
  流しながら見たことを今も時々思い出す。
(2) 物事の因果関係を学習する機会を与える。
 家事の手伝い(家族の一員としての役割分担)、栽培・飼育、
 制作活動(工作、手細工等)、環境美化活動などを通して物事
 の背景や人の苦労を体得させる。子どもたちの周りには、余り
 にも出来上がったものが多く、その生い立ちが見えない。 
(3)地域の教育力を活用する。 
 自然環境、伝統文化や行事など、心を育てる素材は豊かであ
 る。単なる伝統を継承するのみならず、それらを意識的に活用
 していく。それには経験豊な お年寄りの力が大切である。

 結局のところ、これらを現実のものにしていく力の源は家族である。両親の心が安定し、子どもが好きで、子どもたちの「心」をどう育てるかという「心」を周囲が持ち続けることである。
「子どもの成長を保障するのは家族である。しかし、今、そのファミリーが急速に失われつつある」10年ほど前に亡くなったマザーテレサのことばである。
 色々な事件の背後に潜むものは、外部からは即断できない。しかしながら、「昔は考えられなかった…」は現実である。そうした事件に対し、「またか…、そういう世の中さ…」ということだけは避けなければならない。