我慢は生きる力 

2008.03.01
熊谷 和恭

 このところ、昔は考えられなかったような異常とも思える事件が多い。そうした世相を見るにつけ、次代を担う子どもたちにとって必要なことは何だろうと考える。
 「清貧の思想」の著者、中野孝次氏の言によると、「…子どもには『我慢』を教えるべきだ。物の繁栄は心を衰えさせ、有難さというものが分からなくなっている。のどが渇けばジュース、寒ければ暖房。しかし、寒くて長い冬に耐え、春を迎えた喜びはひとしお強くなる。私たちは、子どもや若い人に、耐えること・我慢すること・努力することを教えなければいけません…」と。
 今は、少し落ち着いているが、ひと頃、0157による食中毒が流行し、特に学校現場ではその対策に追われたことがある。また花粉症は、今や春先の症状として当たり前のこととなっている。これらは、昔は考えられなかったものであり、人間の耐性の変化がなせる結果ではないかと思われる。花粉症の原因については、人為的な環境が生んだアレルギーだとも云われている。昔は、鼻をたらしたり、寄生虫を持っている子どもが結構いた。それは、少々のばい菌、微生物などと共生、共存していたということであるが、現代文明による無菌状態的な環境により、花粉とかダニとか、昔は問題にしていなかった異物に対し、抗体が過剰に反応して花粉症などのアレルギーを引き起こすのだそうだ。
 消化器も同様である。昔は井戸水、山水など飲料水としていたが、今は、塩素で消毒した水を飲む。俗に水が変わると、下痢、発熱などを起こすことがあるが、これは消化器の免疫が働かなくなったのである。つまり体の機能が弱くなったということである。そうかと言って、急に水道水をやめ自然水で胃腸を鍛えなおすという訳にもいかない。
 このようなことが体の機能だけでなく、どうやら心の働きにも見られるようで、昨今の異常な事件がそれを感じさせる。これは大問題である。その原因は色々と言われているが、即効薬的なものは見つかっていない。しかし、急激に変わり行く現代文明の中での生活環境と無縁ではあるまい。
 そこで考えてみるのだが、はじめに出てきた「我慢」、心の免疫性を育てるのはまだ可能である。例えば、学校で行われている部活動などはその絶好の機会である。一つの目標に向かって日々、我慢に我慢を重ね、厳しい練習に耐えること、日々の練習を終えた時の充実感、そしてそのひと時に友と語る開放感、生きていることを実感する瞬間である。そうした積み重ねが、徐々に心の耐性を築いていくのではないかと思う。
 さらに、家庭では我々年寄りの役目も大きい。とかく、祖父母は孫を甘やかすと言われている。子どもを自由に大らかに育てるのはいいことであるが、ともすれば、昔の貧しい生活の思い出から、孫にだけにはひもじい思いをさせたくないなどと、つい欲しがるものを何でも買い与えることがある。それは、むしろ逆であり、その昔の「耐える」ことの体験者として培われたものを、今の子供たちに教えることが大切だと思う。
 また、昔とった杵柄は、もの作りでも生かされる。子どもたちが自分たちで工夫し、作り上げる活動を通して、不自由さの中で我慢した後の楽しさ、成就感を味あわせるという手助けも出来る。
 子どもたちは、こうした「我慢」体験を通して、少しずつではあるが、心の耐性を培い、本当の生きる力を身につけていくのだと思う。
 文明の進歩と共に、過去には考えられなかった出来事に社会は徐々に蝕まれていくような気がするのは杞憂であろうか。未来に生きる子どもたちの先導者としての役割は、我々にも十分残されている。