お正月と子どもたち

2008.02.01
熊 谷 和 恭

  ♪もういくつ寝るとお正月 お正月にはたこ揚げて
             まを回して遊びましょう 早く来い来いお正月♪

 昔、よく歌ったような気がする。それだけ待ち遠しく、楽しみにしていたお正月は、我々のノスタルジアに過ぎないのだろうか。
 確かに今のお正月は、遊びも変化し団欒もテレビが中心になり、様変わりした。
 我々が子どもの頃のお正月で、何より嬉しかったのは、大人が側にいてゆっくりとくつろいで子どもの言うことを聞いてくれたり、一緒に遊んでくれたりして、所謂、家族団欒を通して家族の温かさを感じられたことであった。更に親戚の人たちが集まったりして、嬉しいお年玉を頂いたり、時には逆に親戚の家に泊まりに行き、いとこなどと遊ぶことができた。特に家族数の少ない私には、めったにない大家族の雰囲気を味わうことで、なんとも言えない嬉しさを感じたものだ。
 このように普段の生活ではなかなか体験できない大人との団欒であり、しかも大人が子どもの方を向いてくれるだけの十分な余裕を持っていて、その楽しみも大きい上に、大人たちとの交流の中で人として必要なことを色々学んでいったような気がする。
 さて、様変わりした現代のお正月は、子どもたちにとってどのような位置づけになっているのだろう。今の子どもたちが大人になった時、本人たちが子どもだった頃のお正月の思い出を聞いてみたい気もする。
 しかし、お正月の様子は変わったが、子どもそのものは今も昔も同じだと思う。変わったのは、周囲の大人や社会、そして生活様式である。
ということは、それぞれの家庭で昔のようなお正月を設定すればよいのである。
実際、しめ飾り、鏡餅、雑煮など残っている風習も多い。それに加えてそれぞれの家庭で機械文明に左右されない独特の団欒手段を考えていけばいいのではないかと思う。
 我が家でも、子どもが小さい頃は、頑固にお正月の遊びを続けていた。百人一首である。その時はテレビを消し、一家7人が一つの遊びに集中する。まさに家族が一つになれる時間であった。その内、長男が高校生になった頃から途絶えていったが、そういう団欒を通して子どもたちの心のどこかに家族の絆のようなものが作られていたのではと思っている。
 ところが嬉しいことに、平成元年生まれの孫が小学校高学年になった頃から、内外合わせて五人いる孫たちと大人たちとのお正月の百人一首が復活した。それは、五人の孫の内二人が高校生になった今でも続いている。
 私の住んでいる地域では、昔ながらの「とんどさん」も残っている。
 いずれにしても、地域、家庭でお正月ならではの伝統行事、遊びを復活し残しし、お正月だからこそできるのだということの大切さをもう少し見直していく必要があるように思う。

  ♪もういくつ寝るとお正月 お正月にはお年玉もらい 
           テレビゲームで遊びましょう 早く来い来いお正月♪

 子どもたちが大人になったときのお正月の思い出が、機械との戯れとお年玉であったというかすかな記憶だけしか残らないとしたら、余りにも寂しいのではないだろうか。
 子どもたちは、いつの時代にも不変である。変化していくのは周囲の環境である。それらを取捨選択するのが我々大人の責務ではないだろうか。