青春が蘇った甲子園応援

8R 森谷喜男
 たまに通う甲子園球場への道も、平成14年3月29日のこの日はいつになく新鮮であった。大阪に住んで約40年、清原・桑田時代の強いPL、ドカベン香川の浪商などを初め、高校野球も麦藁帽子と双眼鏡、ラジオ片手の定番スタイルで、ときにのんびりと見物してきた。でも、この日は、わが母校・松江北高がまさかの甲子園選抜野球出場、なにか晴れがましい気持ちやら、みんなとの再会の期待やらで妙な興奮が抑えきれなかった。 この日の甲子園応援は、松江・白潟小学校の同窓生で神戸在の木森徹君(神戸で印刷関連の会社を経営)の呼びかけで、白潟小学校の在阪同窓生が甲子園で集まり応援することになり、長谷川忠雄君(奈良在、松高8期生)、旧姓・小豆沢信子さん(大阪近郊在、同8期生)、それに松江三中の書道部仲間であった黒田泰行君(神戸在)と甲子園球場のゲート前で落ち合った。とくに黒田君とは、47年ぶりの再会だった。(8期生の旧姓・塩治民子さんは、都合で参加できず。)


木森君・小豆沢さん


長谷川君と森谷

 三塁側スタンドは、在校生とOBのグループなどであふれかえっており、数の上で相手の福井商業を上回っていた。相手は、なにぶんにも甲子園

松江北高応援団 
の常連高、いきなり走者が出て、これは大量点と思いきやしっかり守って0点、しかもそのうちにホームランでリードまでしたものだから、松高応援団の雰囲気は最高潮に達した。ビデオとカメラを持って来ていたが、応援が忙しく写すのを忘れてしまうほど。合間に歌う久し振りの校歌が、我々をすっかり高校時代に戻してくれた感じであった。こんな幸せがあるだろうかと、このとき心から後輩諸君に感謝したものである。
 ところで、甲子園球場といえば、松江の白潟小学校時代に、親戚の古津
商店のおじさんに連れられて来たのが初めてである。勿論、初めての都会である。当時の大阪は、まだ戦後の焼け跡が至る所に残っており、夜行列車の窓の外の朝もやの中にくずれたレンガづくりの建物が展開されていく風景が、いまだに記憶に焼きついている。甲子園球場では、巨人、阪神、南海ともう1チームの変則ダブルヘッダー、川上、千葉、青田、別当、藤村、土井垣といった選手のはなやかさが

戦い終わって一杯
何十年たっても懐かしい。 福井商業との一戦は、負けはしたがしっかり守った好ゲーム、余韻を残しながら梅田の「皆実」(松江の皆実館の大阪出店)で松江の料理と酒でしばしの再会を楽しんだ。
 あれからもう2年、今年もまた3月の選抜高校野球シーズンを迎えて、あのとき我々を幸せにしてくれた選手たちは今どこで活躍しているのだろうかと思い出す。



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