福田春岳の古里写真紀行(その2)

2011.12.01 福田 熹  


 平成23年10月26日(水) 晴れ 気温/湿度 平年並みか。

 今日は昨日のような失敗は許されない。昨日はレンズの選択を間違え、手間取っているうちに陽が落ちてしまった。まさに、"秋の夕日はつるべ落とし"だった。

 本日はまだ15時30分頃、陽は中天に在り。西の方斐川平野の上空は真赤つ赤、まだらの雲が、"八雲立つ出雲"のイメージに似て、太陽を被いかぶさんとばかり待ち受けている感じ、"いいなあ"。

 大阪は知らないが、首都圏ではちょっとこういう光景にはでくわすことは無理だなあ。陽が沈む前約20分が勝負だなあ。撮影メモに撮影予定プログラムを記入して、ただ一人嫁ヶ島方面に目をやって撮影イメージに耽っていたら、「すみません。夕日の写真を撮りたいので、そちらの横に入っていいですか?」 見た感じ小生より4、5歳年上とおぼしき眼鏡をかけた色の黒い男性がやってきた。撮影ライバルと思うと、本能的にすぐ敵のカメラに目が行く、CANON EOS−1D MARKVだ、すばらしい。プロ用のCANON最高機種だ。残念ながら、小生には手が届かない。

 「どうぞ、どうぞ」、同じCANON機の愛好者と思うとなんとなく、近親感が沸き、素直に受け入れた。ひと通りの世間話をすると、なんとなくライバル氏の言葉使いのアクセントが気になる。出雲弁と違い石見弁みたいだ。でも、なんとなく島根県人じゃないな? そうだ、石見弁と広島弁はアクセントがそっくりのはずだ。道路事情が良くなり、取り分け陰陽の分岐点、赤名峠の長いトンネルが開通し、マイカーが普及した今日、島根の自然を求めてやって来る広島県人が多いはずだ。去る平成21年の5月のホーランエンヤの時の、あの広島ナンバーの大型長距離バスの数、並々ならぬものだった。

 「ちょっとお尋ねしますが、広島の方から、いらっしゃったんですか?」
「そうです。昨日の夕方、車で松江に来て、明日は日本海見たいんですが、よく私が広島だとわかりましたねえ」

 いろいろ雑談したが、話の受け答えがはっきりしていて、ソフトな感じで、もの腰もやわらかそう。小生は気に入った。

 さて、小生は宍道湖の袖師ヶ浦夕日の丘スポットに新設された大きさ二坪足らずの湖面側にちょっとでっぱった特別スポットにいるわけだが、その広島のライバル氏にお地蔵親子二体、嫁ヶ島、斐川平野の三つの被写体がうまく画面におさまるように、偉そうにアドヴァイスした。そのライバル氏も素直に受け入れ、陽が落ちる3分前までに、約30回はシャッターを押したはずだ。小生も30回程度シャッターを押した。まさに一心不乱、我を忘れて、趣味の世界に没頭した20分だった

 撮影終了後ふと振り返るとなんと、なんと、その数約50名前後のカメラマンが、夕陽の丘を埋め尽くしていた。どこから、いつのまに遣ってきたんだろう? アサヒカメラ、日本カメラの両誌にも推薦された、今や全国区的人気スポットだ。驚いた。たしかに、斐川平野の落日、落日寸前に雲の間より差し込む一本の陽火が嫁ヶ島を照らして袖師ヶ浦の水辺まで届く、これは風景写真家にとっては、なにものにも変えがたい被写体となる。"ああ、今回東北地方の撮影は被害者の方の気持ちを痛ましく思い、古里松江に変更したのは大正解だった"


宍道湖残照

 日が暮れて、あたりもすっかり暗くなり、当のライバル氏ともなごりを惜しんだ。別れ際、一見なれども心が通じたと即断、名刺を渡したところ、ライバル氏は喜び、即、撮影メモに自分の住所、氏名、電話番号を記入して広島にぜひ遊びに来てくれと、礼を受けた。広島県安芸郡府中町八幡XXXとあった。

 小生が伯備線のフリコ電車は首都圏の電車と比較して乗り心地に問題があり、次回来年三月は広島駅前ターミナルより赤名峠―掛合―三刀屋経由バスで帰松したいと話したところ、ライバル氏は広島に帰る途中掛合の竹下酒造本店に立ち寄り"出雲誉"を買うのがなによりの楽しみだとニコリと笑った。恵まれた年金生活を送っていると推測でき、羨ましく思った。

 "ああ、今日はいい体験をした。充実した半日だった。風景は申し分なし、撮影もバッチリ、それになによりも、すばらしい人間関係が結ばれた。結論、健康で長生きすることだな。ちょっと飛躍したかな?" (つづく)