喜寿を迎えて

小林信生 (2015/02/28)


「喜寿を迎えて」という随筆を書くような年ごろになったかと思うと、なんとなく恥ずかしい。

そろそろ人生の終わりという段階にいるにもかかわらず、いまだに青臭いことを言い、あれこれやりたいと思う欲が強い。海外旅行にも行きたいし、新しい道具が出ると買ってみたくなる。家内には「新し物食いの気持ちを、いい加減に捨てたらどう?」と言われる。どうも落ち着かない自分を見ていると、いつまでたっても幼稚で、これで良いのかと反省することしきりである。

 しかし、見方を変えれば、この事はまだ人間として「生きる」ことに望みがあるからではないか、「生きる」ことが楽しいからではないか、となんとなく納得している自分が、そこにいる。現役時代は、とかくがむしゃらに働くだけが能であったが、やっと時間拘束から解放され、自分の時間を自分で管理できるようになったことが、とても嬉しい。今も非常勤で仕事はしているが、事前に予定が立つので全く時間的束縛にはならない。本を読みたい時には読み、大好きなパソコンの前に何時間座っていようとも、そこで居眠りしても、誰からも文句を言われない。まさしく自由を楽しむ喜びを持って生きる年になった、と嬉々としている。


 だが、あまり手放しでは喜べないこともある。先日、新聞のシルバ−川柳欄に「大事なもの、しまうな二度と、出てこない」という句があったが、まさにその通り。一日に何回物を探すか、段々その回数が増えてきていることに気付く。ずっと前から人名忘れ現象は出ていたが、最近は物探し現象が増えてきた。これから繰り返しや徘徊現象などが出てくるかもしれないと、先が思いやられる。小生は、車を運転することが趣味で、今も長距離運転は苦にならないので、よく遠出する。最近、年寄りの高速道路の逆走事件が多発しており、これに巻き込まれないようにしないといけないと言い聞かせるが、もし、自分がそんなことにでもなれば、取り返しがつかない。高齢者の免許証返上が増えていると聞く。年を重ねることは、めでたいことだけでなく、社会的重荷を増やすことになるのかと、ちょっと心配になる。社会の足手まといにならないように、健康保持に心掛けたい。

数年前、この松高8期生の「わたしの健康法」欄で、多くの方から色々な健康法が披露され、大変参考になったが、その時、小生は『スポ−ツ吹矢』にはまっていると書かせて頂いた。今は、最高段位の6段を目指して特訓中である。矢を吹く瞬間、体内の血流が一気に動くが、新鮮な血液が脳の毛細管にも運ばれて、脳内健康にも良い結果をもたらすのではないかと勝手に解釈している。そのことがボケ防止の一助になればと願いつつ、吹矢に励むこの頃である。

 (追伸)小生は、日本のほぼ中心に位置する富士山の美しい姿が大好きである。晴れた日に少し時間的余裕があると車に飛び乗り、ひとっ走り、富士山麓へ出かけてはその勇姿をカメラに収める。それを一枚の写真パネルに編集して、パソコンの壁紙を作る。各地ドライブ旅行で納めた自然景観や名所旧跡などの写真集を作ることも一つの趣味となった。ここに貼り付けた「富岳百景」や「花八景」も、昨年中に撮ったものをまとめたものである。



次は、熊谷和恭君にお願いします。


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