私の健康法


平成21年7月26日  
福間 三郎  

 他人(ひと)様から貴殿はお幾つですかと問われたら「当年とって(10年引いて)61歳です」と答えることにしております。問うた方もまともに受けてくれているようなので、若くあらんとする日頃の努力が実を結んでいるのだなと密かにほくそえんでいる私福間三郎です。
 
 さて、満60歳で定年退職して満10年、63歳に達した時、突然、不整脈に襲われ、10日間入院し、心臓の手入れをした以外、今日にいたるまで風邪一つ引くこともなく、元気で第二の人生を謳歌しております。従って、皆さんに披露するような特別な健康法、例えば、毎日何Km歩くとか、特別なサプリメントを摂るとかというようなことは一切なく、夜10時には就寝、朝は6時に起床、3回の食事は家内が作ってくれる食事を規則正しく食べ、夕食時には適量の晩酌を楽しむといった生活の連続です。これが私の究極の健康法かもしれません。

 年2回近所の病院で血液検査を主とする健康診断を受けておりますが、肥満度がやや高い程度で他項目の検査値は標準値に治まっており、医者から健康法についてアドバイスを受けたこともありません。ただ、結果的に自分を健康体に保ってくれていることが、規則正しい生活の他に2,3あるような気がしますのでそれを記してみたいと思います。

1、 歯が丈夫なこと
先日71歳の歯の健診を受けた時、この歳になって全ての歯が生まれた時のままの歯、それに歯のエナメル質が硬質であることに検診に当たった医者が驚き、褒めてくれました。実際、この丈夫な歯をもって小魚やアジの干物の類は骨ごと食べるのは当たり前で、鶏の手羽先の関節を噛み砕き軟骨やゼラチンを食べたりするものですから、家内からお里が知れるとよく笑われております。魚類ばかりでなく、全ての食事が口の中でとろけるまでよく噛んで食べること、この咀嚼力が身体の健康を保つばかりか、脳の何処かを刺激して頭の健康をも保ってくれているのではないかと密かに思ったりしております。親からもらったこの貴重なDNAを大切に守り、エイテイ・オールを 目指したいと思っております。

2、 足腰に衰えを覚えないこと
我が家の住まいは高さ15mのマンションの最上階の5階です。エレヴェーターが付いていないので60段の階段を昇り降りする毎日です。定年になってからは朝の新聞取り、週4回のゴミ出し、お昼時の郵便受けの確認等で1日最小でも5回は昇り降りするので、1日で少なくとも300段の階段を昇り降りしていることになりますが、これにしんどい思いをしたことはありません。生活の中でも歩くことが日常になっており、スーパーへの買い物、銀行、郵便局への用事等は一手引き受けで、すべて徒歩でこなしております。HPのハイキング、登山欄で紹介している通り、6年前から木下勲君主催のハイキングに毎月1回、ほぼ皆勤で参加しておりますが、これも身体の健康を保つと同時に登山中に交わす会話、下山後に楽しむ反省会のサロン的雰囲気が心の健康を保つに大いに預かっていると思っています。



毎日日記を欠かさず付けること
現役時代、仕事柄、海外出張が多く、その都度出張報告書を提出する必要があったため、こまめにメモを取る習慣が身に付いたようです。この習慣を活かして、定年後今日に至るまで1日も欠かさず日記を付けております。旅行等で家を留守にする時は旅先でメモ用紙に要点を記し、帰宅後日記帳に貼り付けます。筆記には5色ペンを使用し、内容の濃いもの、重要度の高いものを自分なりに仕分けして5色の印を付けるようにしております。記述の他に、コンサート等の催事に行った時はその入場券の半券を、また、その日の新聞で気に入った記事があればそれを切り取り、貼り付けします。このようにして1年が経つと年度始めには2cmの日記帳が年度末には倍の厚さになっています。今、私の枕元には10冊の日記帳が並んでいますが、時たま数年前の日記帳を引っ張り出し、中身を眺めては現在の自分には何が欠けているか、また、何を新たに取得したかを確認し、またあしたからの行動の指針を思い描くのです。これも私を健康に保ってくれているものの一つのような気がしています。

4、 多くの良き友人に囲まれていること
60歳で定年を迎え、これからのオール・サンデェイを如何過ごすべきか思い巡らせました。結論は前のキャリアや肩書きを一切投げ捨て、一介の浪人になって、新しい世界に飛び込み、新しい友人との出会いを求めること。それも経済面で無理の無い範囲でそれを実行するとなると、必然的に地域に密着した行動にならざるをえません。市民大学へ、パソコン教室へ通いました。ボランテイアセンターに登録し、奉仕活動もしました。町内会の役員も進んで引き受けました。すべて新しい良き友人を得るための行動です。そのためには自分自身が先ず魅力的な存在でなければならないと思い、過去を忘れて新しい経験に臆せず取り組みました。結果、今では身近に多くの友人(半分はガール・フレンド)に囲まれ、皆から頼りにされている自分を感じております。今後もウイズ・エイジングで年齢にふさわしい重厚さを積み上げ、川の流れのように蛇行を繰り返し、最期は人しれず大海に溶け込んで行けたらなと思う今日この頃です。  


町内会の夏祭りで盆踊りを楽しむ(09・07・25)

 末尾にあたり、この「私の健康法」の編集に当たらせて頂いたこと、皆さんから快く健康法の秘訣を披露していただいたこと、つたない私にアンカー役を指名していただいたことに深謝いたします。

 最後に皆さん既にご存知の米国の作家サミュエル・ウルマンが詠った熟年者への応援歌「青春の詩」を記してこの健康法シリーズをひとまず終わらせていただきます。

「青春 Youth]
 サミュエル・ウルマン作
 訳詞 岡田義夫

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く 、失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く に老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。