私の健康法

平成20年9月6日
森谷喜男(8R)

 健康法といっても何もない私のところに・・・。肉体的に長年毎日やっていることといえば、起床直前ベッドの上での3分間関節屈伸運動(家内にチンだといわれながら)と、6年以上続いているマイナス9千ボルトの電床マットを敷いて寝ることくらい(病気対策)。

 30才までは毎年槍や穂高の夏山歩き、足だけは自信があったのに、その足が、定年でやっと体の手当でもしようと思った矢先に足裏が痛くなり、まさかの特定疾患(全国で1500人程度)。うまくいかないものですね。それから10年、とても健康法などいえたものはないのです。タバコはもうやめて5年以上、でもお酒だけは毎日かわいらしくなめています。(現役時は、毎日遅くまで仕事、そして赤ちょうちんに)。

 ただ、朝晩2回測定の体重・体脂肪管理は、現役時最大70kgを超えていたものが、2年前イタリア旅行で珍しくお腹をこわしたのを契機に、夕食の米(炭水化物)をやめるようにして6kg減少し、それを維持できています。いろいろやっても減らない体重が、娘に言われたこの方式で効果ありに。米は食べないがその他の副食は普通に食べます。体重が落ちるとゴルフのドライバーの飛距離が気になった・・、でもそれは年のせいとあきらめました。

 40代では仕事にからんで2時間睡眠を2か月続けるなど、結構無理はしてきました。現役時も含めて大きな病気をしなかったことはありがたいことです。

 振り返ってみると、生来の新しいもの好き、私生活でもなにか新しいものを求めてきた感じです。
まず入社後ハワイアンバンド(ある催しで大ブレーク直前のブルコメの前座をやったことも)。昭和58年我家にパソコンを買った時には、当時としては珍しく、周囲から一体家で何をするのかと。毎週、新しいもの探しで趣味の電気屋街通い。でも、各社のBASICをマスターして、プログラムを組み、完成したときの喜びはひとしおでした。その点、今はExcelだWordだと、何でもやってくれるれるので、ちょっと味気なくなりました。
 
 後は、29才から撮り続けたビデオ(もっとも当時は、フィルム)撮影、海外など旅行は撮影と編集の楽しみのために行くようなものです。最近は、上海人の先生のもとで中国の墨彩画を1作3か月位かけて制作、掛軸に(写真)。私の父は、薬剤師でありながら、学生時代はアルバイトで宝塚歌劇の看板描き、あと松江で茜会という画家集団を組んでいた人、その影響が今頃出たのかも。でも、私は上手ではありません。

 まあ、人生ささやかでも楽しみを見つけて生きてこられたことが、私にとって一番の健康法だったのかも知れません。 

 それでは次回、このホーム・ページを管理されている三澤通宏さんにお願いします。