秋 刀 魚



                                     山 田 一 郎(38・18・7R)
           
  高校時代、私は自宅が仁多郡八川村(現:横田町)だったので松江に下宿した。もっとも当時は松江高校の学区域は隠岐の島も含んで広く、下宿はそう珍しいことではなかった。最初は学校正門前の南田町で通学には便利だったが、事情があって2年の2学期に北堀町に移った。
山田
(北堀町の下宿(左)の前にて)

  北堀町の下宿からは、小泉八雲の「怪談」の「謡曲を歌うと妖怪がでる橋」として有名な普門院の橋を渡って通学した。ある時わざと歌って渡ってはみたけれど別にどうということも起こらなかった。もっとも当方の歌は「謡曲」ではなかったので出て来なかったのであろう。
  この下宿は、ご家族も多く同居の下宿人も何人かいたが皆いい人達で、その点では居心地はよかったのだが困ったことがいくつかあった。一つはいささか古い屋敷だったので外壁の隙間が何箇所もあったことだった。ヤモリが時々這っていたし、冬になると小さな手火鉢一つではとても寒くオーバーや毛布を着て勉強した。ある時など夜中に強い吹雪の朝に起きると掛け布団の回りに薄く雪が積もっていた。
  そして、もう一つが秋刀魚である。私の部屋は丁度台所の二階で、その屋敷中の人達の秋刀魚を何匹も焼く煙が部屋にこもるのである。秋刀魚は食べるもので、煙をかぐものではない。これにはほとほとまいった。受験勉強の時などはあまり煙たいので近くの県立図書館に逃げ込んだこともあった。

  結婚してから秋になると安くて栄養があるから秋刀魚をというが、高校以来あまり食する気にならず一秋に1・2度くらいしか出させなかった。それほど、松江の下宿の秋刀魚の煙の匂いが記憶にとどまっていたのである。
  高校を卒業してから40年程経った頃、松江に行ったおり思い立って管田庵から普門院の橋を渡って北堀町に寄って下宿を探してみたが、周りもすっかり変わっていて大家の名前も見付からなかった。

  そして、今は値段も高くなった秋刀魚を煙の出ないグリルで焼いて、ありがたくおいしく頂いている。・・・・・
ここまで書いたら、妻曰く「今年の秋刀魚は大漁で鰯より安いわよ」という。どうりで今年は秋刀魚がたびたび食卓に出るはずだ。

(2003年10月15日 : 記 )



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