演目 まぼろしのジョニ黒        
               作 福田 春岳 
 
「年金生活をエンジョイしている元サラリーマンの諸兄に捧ぐ」

 毎度 ばかばかしい噺で恐縮ですが、肩に力を入れないで気楽にご覧ねがいます。気晴らしになるかならないかは八期諸兄の気の持ち方次第です。

 東京オリンピックの二年前ぐらいから 外国人の日本訪問が急激に増加して、そのためかも知れませんが、銀座 新橋 赤坂 六本木 の一流バー ナイトクラブ 等で 所謂"飲み屋の三種の神器"としてオールドパー ジョニーウオーカー黒ラベル レミーマルタンナポレオンなどなど 一流外国製洋酒が出揃うようになりました。
 しかし、いくら右肩上がり高度成長期とはいえ 庶民にはまだまだ縁遠いものでありました。当時私はある支店で外国為替係を担当していましたが、ある日、主力取引先の輸入貿易会社の経理部長が来店して、

 「社長からの預かりものです 外為係の皆さんで 飲んでください」

と言って化粧箱にはいって包装紙で包まれた洋酒を預かりました。私は酒には縁がなく、無論洋酒については 知識も関心も乏しかったので頂いたのはともかく営業時間中でもあり急いで一階営業場の奥の金庫室の外為係の棚の奥に横にして置いときました。

 これが よもや あとあと 厄介な事件に発展するとは 今流の表現にすれば 想定外でした。でも、後から反省すれば、得意先から酒を頂き金庫に隠したと言われても 仕方のない事でした。

 それから、約三か月ぐらい経ったある日 今年の大蔵省銀行局の臨店検査は当行に決定、どうやら、当店が臨店候補らしい、と言う情報が入りさあ、大変だ 従来 金庫書庫の整理は担当係任せだったが、この際"目を変えて"牽制効果をも考えて 他係の者が点検することに変更なりました。この時点で私は酒ビンを置いてるなんて意識がなっかたので他係が点検するなんて 客観的で結構だなあ なんて 素直に思っていただけでした。そして、外為書庫金庫は取引先係の小沢調査役が担当することとなりました。この調査役は別名 "ヨイショの調査役"とか"ゴマすり調査役"と言って まあとにかく自己顕示欲が強く、部下の手柄は上司の手柄、支店長にはペコペコとゴマするは、部下には言葉使いからして 乱暴でとにかく、下で働く者にとっては いやな存在でした。

 その小沢調査役が 洋酒の箱を見つけたのです。手柄をたてたのです。牽制効果があったのです。 金庫の中で 包装紙を破いて"ジョニーウオーカー黒ラベル"を見つけたのです。私は直接立ち会わなかったんですが包装紙を破いた瞬間 彼は"オオー"と叫んだそうです。

 当然ながら、かれは野田支店長に 即、現物を見せて 自分の手柄の報告です。一方、私は支店長からけん責を受け、始末書でも求められるだろう でも、人事考課には反映しないだろう なんて、とタカをくくっていました。橋下次長が私の肩をたたいて、「ちょっと 来い」と合図しました。私は「大変申し訳ありません、私の不始末です」と素直に頭を下げ、次の瞬間頭をあげて支店長の目をみました。
と、意外や意外、支店長はギョロとした目つきで私を見つめ、

 「福田くん、君は長生きするよまったく、こんなもの 三か月もほったらかしにしとくなんて、君は酒はダメなんかい?」
  
 「はい、私は酒を隠したなんて、意識はまったくありませんでしたがつい、忘れてしまいました」

「うん、これはねえ、ジョニ黒といって 高級な洋酒なんだよ、酒飲みにこたえられないものなんだがねえ、そうだろう?次長」

 「はあ、よくも、三か月もそのまま あったものなんですねえ」

 「まあ、今後、気をつけてくれよ、地下の書庫の奥にでも置いてくれたらよかったんだよ、まあ、期末の打ち上げの時に皆で飲もう、でも、飲兵衛が多いから、一人あたり オチョコで一杯ぐらおいだなあ」

 私はもう一度 謝り 支店長から 洋酒を受け取り 新聞紙で包装し直し、言われた通り地下室の奥に保管しました しかし、この間外為の直属の上司の安倍調査役はまったく 我関せずでまさに不可思議でした。

 それから、三週間ぐらい後、銀行局の臨店検査も他支店となり、店内が落ち着きを取り戻したころ、橋下次長が私に声をかけ

 「福田君、例の酒 地下室に隠してんだろう?」

 「次長さん、止めてくださいよ 隠しているんじゃないですよ、置き場がないから、支店長のおっしゃる通り 一時預りしているんじゃないですか」

 「わかったわかった あの、あれ 一寸 私が預るから 持って来てくれ」

 「はい わかりました」

 それ、早く言って欲しかったなあ、私は此の件から早く、手を退きたい。ああ、すっきりした、無事終了だ。

 まあ、ここまでは なんとか 収まったようで 一安心でしたが、ある日 くだんの小沢調査役が

 「福田さん、外為さんが期末の打ち上げでおいしい洋酒を飲ませてくれるってんで外交全員張り切っているよ 楽しみだなあ」と、早く出せといわんばかり、

 「はあ? 洋酒は橋下次長が持っていきましたよ、次長に聞いてくださいよ」
 
 「なにい〜? 本当か? いつなんだよ」

 小沢調査役は顔をこうばらせて 私にくってかかりました、その日付けを言うと

 「そりゃ、支店長が得意先とゴルフに行ってた日じゃないか?よし、わかった」

 そのまま、急いで野田支店長席の前に進み、事情説明 得意の情報提供です。ここまで来ると、わたしも 対岸の火事を見るようで、面白くなったなあ なんて けしからん空想して 見てましたら 支店長のあのグリグリとした目つきが三角形のように見え 口元がこわばっている感じです。橋下次長に聞いてみれば 酒の顛末は明白なんですが、それが まあサラリーマンの世界で 年齢 学歴 職歴 資格 権限 対人関係の濃密差 等で いろいろ確執もあり もやもや としているわけで、その後この件はオフレコ扱いとなってしまいました。

 期が明けて くだんの小沢調査役は郊外店の支店長に大栄転、
 橋下次長は関西の格下の営業店の次長に左遷
 野田支店長は都内の支店長に栄転

 まさに、未解決のままの"まぼろしのジョニ黒"事件の幕引きとなりました。

 それから、十数年経ち、私が年一回の健康診断の人間ドッグの日 診療センターの待合室で順番待ちしていると、どっかで見たことがある60歳前後とおぼしき男性がやってきた。
ああ、そうだ、小沢さんだ"ゴマスリ調査役"だ でも、さすがに、老け込んでいるなあ、なんだか、別人みたいだ。

 「ああ、小沢調査役、福田です、しばらくです」

 「あのお、ああ、福田さんねえ、失礼失礼 思い出したよ、いかんねえ、年取るとピンとこないんだよ」

  型通りの世間話のあと、なんと 意外な発言 人生哲学だ。
 
 「福田さん、サラリーマンは無理してはいかんよ、おれなんか よいしょよいしょ と神輿担いで それから 担がれてきたんだけど、出来の悪い者が無理すると必ず化けの皮がはがれて 末路は哀れだねえ、皮の継張りは出来ないよ」

 「なんですか、いきなり、往年の元気がみられないんですが」

 これ見てよ、"肝硬変の疑いあり"の慶応病院の診断書

 「今まで、無茶してきたから、身体にガタがきたんだよ、今日は先生に今後の相談だよ」

  わたしは、雰囲気を変えるため、話題を変え

 「小沢調査役、例の"幻のジョニ黒"覚えていますか? あれ、どうなったんでしょうねえ」
   
 「ああ、あれねえ、時々思い出すんだよ、もう時効だけどねえ橋下次長が行きつけのバーにボトルキープして、一人じゃ気がひけるから外為の安倍調査役を友連れにして秘かに飲んだんだよ」
 
 「ええ?、そりゃあ、初耳だ、しかもうちの安倍調査役とグルだなんて」

 「福田さん、銀行員もお客さんには格好つけるけど、裏では汚いねえ俺も、今まで 格好つけてきたけどあそこまでは出来ないよ」

 と、看護婦さんのかんだかい黄色の声

 「小沢さーん、三号室へどうぞ、医院長先生がお待ちです」

 
 「じゃあ 福田さん お元気でね 無理しちゃあいけないよ 普段通りでいけばいいよ、よろしく さようなら」

 それから、半年後 本当に"さようなら"となりました。くだんの調査役も"幻"となったのです。

 この落語もこれにて "幻"とします。
 
        お粗末さまでした、お後がよろしいようで
  
                    (2013・01・03)