「龍馬脱藩の道」をゆく

2004.07.08 
木下 勲 


 龍馬は、命がけの旅だった。大げさにいえば、私もそうだった。人里離れたあぜ道の随所で夏草が生い茂り、マムシが出てもおかしくなかったからだ。都合5匹の蛇に遭遇、うち2匹はマムシ。身の丈くらいある夏草の中でなく幸いした。二本の枝切れで地面を叩き、草を払って、そのうえ大声で威嚇して進んだ。「いくぞー」、「出てこい!」などと。地面を叩いていたら、大きな蜂が飛んでいるのに気づき、一瞬身が凍った。おとなしく去ってくれ助かったが。また、夏草の下が崖ぎわだったりしたこともあった。
 トレッキングシューズ、厚手靴下二枚、長ズボン、長そでシャツ、ストックがわりの枝切れ2本、手袋、携帯用ベープ。これらが防備のすべてだ。今回、咬まれたときの対処法が手薄であったと反省している。
 「龍馬脱藩の道」も山に入れば下草がなくなり、ホットできる。龍馬らは、追っ手を避けてわき道を行き、あぜ道などを通ったのだろう。一方、龍馬らの健脚ぶりには感嘆した。高知から梼原(ゆすはら)まで90kmを24時間で踏破している。私は、JRやバスに乗り、途中三泊して着いた。龍馬は国を想い、機をみて火の玉となって飛んでいったのだ!
 幸い六日間、天気は非常に良かった。また、二日目からバス、タクシーを利用するよう、方針を変えた。道中、いろいろな方のお世話になった。とくに、最終日泉ヶ峠で道を探して炎天下の車道をウロウロしていたとき、車に乗せていただいた河辺村の山本俊一さん、どうもありがとうございました。あのままでは、峠で日が暮れていたことでしよう。

 道があるから歩くのです。この脱藩の道も含めて、熊野古道、柳生街道など、また歩きたいと思っています。

以下、高知から宿間までの六日間の旅日記です。kmは歩行距離、カッコ内は全行程距離です。133km中、52km歩いたことになる。

初日、6月28日(月)晴れ時々曇り、俄か雨あり。高知〜佐川、0km(35km)
 10時、高知龍馬空港に降り立つ。さっそく桂浜の坂本龍馬像を表敬訪問。舗装の車道歩きは避け、高知から佐川へはJRで。これは当初の計画だ。15時宿に入る。

桂 浜


龍馬像と


第二日、6月29日(火)晴れ、佐川〜葉山、12km(18km)
 朝7時駅の売店でおにぎりを調達。8時14分発のJRで出発、二つ目の斗賀野で下車。ここから葉山街道入口目指し歩き出す。入口近くの約1kmはダンプの往来があり閉口。街道はしだいに細くなり山道になった。途中、ストック兼防御用の枝切れ2本調達。下草の生い茂ったところで、これが役に立った。もちろん、下りはストックとして役立つ。11時、今日の最高地点530mの朽木峠に到着。下山して三間ノ川集落を過ぎる。舗装されており、標識もある。「休憩記帳所」なるところがあり記帳。遠くは北海道の人もいた。


面白い標識


記帳しました。

集落の途切れるあたりから、隣の集落への山道を登る。次のこの集落は標識がない。国道197号に向け舗装道路が続く。足が痛い。国道に出るとバス停あり、ここで方針を変更し、トラックの通る国道歩きは避け、バスを利用することにした。14時のバスまで20分休憩。ここで、二本の杖は捨てる。バスジャックではと思われてはいけないので。惜しい、一本は桜の木だった。15時前には、宿近くの神社で一休み。宿泊客は私ひとり、八畳続きのふた間を独占。広くて寝づらかった。

第三日、6月30日(水)晴れ、葉山〜東津野、6km(21km)
 バス停前のコンビニで、おにぎり、お茶を調達。8時34分のバスに乗り、9時大川で下車。国道と別れて旧道を進む。その旧道から別れるように、「坂本竜馬脱藩の道」なる標識あり。また、枝切れを拾う。しばらくして畑の脇に入り、茶葉採集用トロッコのレールと平行して進む。ここはお茶の産地なのだ、茶畑のまわりを走る林道を登ると、国道沿いの道の駅などが遠くに見える。


大きな案内板


遠く茶畑を望む

ここ布施ヶ坂(ふせがさか)を下り、国道に出てバス停まで歩く。12時10分着、14時44分のバスを待つ。ちょうど四万十川源流まで9kmの地点だそうだ。15時、民宿に着く。ここでも一人、おかみさんは夕食の片付けが済んだら、山を下りていった。タイガースの応援をして、寂しさを紛らす。

第四日、7月1日(木)晴れ、東津野〜梼原(ゆすはら)、8km(16km)
 おかみさんが国道からの登り口まで車で送ってくれた。「神在居(かんざいこ)の千枚田」は、司馬遼太郎の推奨の大遺産だそうだ。カメラに収めた。


千枚田(全景)


千枚田(上から)


檮原入口の案内板
時間があったので、道の駅ゆすはらの温泉にも入った。しばらくして、龍馬らが最初の一泊をした那須邸の屋敷跡を通る。うっそうとした林のみ。12時すぎ、梼原に到着。3時まで、役場で道を尋ねたり休んだりして過ごす。タクシーの予約をして、民宿に入る。ここで、送っておいた衣類を受け取り、使用済みのものを送りかえした。梼原の町民は、もてなしの心を大切にしている。町を歩いていると、向こうから、「こんにちは」と声がかかる。昔街道わきには、茶堂と呼ばれる東屋があり旅人を茶菓でもてなしたそうだ。

第五日、7月2日(金)晴れ、梼原〜野村、10km(24km)
 8時5分民宿のおかみに送られて、タクシーで茶や谷に向かう。これで半分以上かせげる。道々、マムシに気をつけろと運転手がいう。草むらに手をつくなとも。怖くなったので、茶や谷の一つ奥、松ヶ峠でタクシーを降りた。ナラ山付近から、四国カルストの雄大な大地が見えた。韮ヶ峠は、車道が交差している県境だった。愛媛県側に入り、下ったところに関所跡があった。龍馬らは、ここを避けたはずだ。


県境の韮ヶ峠にて


関所跡

峠を下りて、舗装された車道を延々と歩く。最後は登って、今日の宿「坂本龍馬脱藩の宿」に入る。ここも一人。風呂、トイレともに昔風。夕食には、ここで養殖したヤマメが出た。主人は昭和4年生まれ、子供のころおじいさんが「誰にもゆうなよ、この家の前を龍馬らが通ったぞ」となんどもいったそうだ。これはみんなで龍馬をかばったことなのか。ここは、本当の山の中の一軒屋。携帯の電波も弱く、家への連絡はあきらめた。

最終日、7月3日(土)曇りのち晴れ、野村〜宿間(しゅくま)、16km(19km)
 6時朝食7時出発の予定が、5時45分朝食6時35分出発となった。弁当とお茶2本を背に、まず最初の榎ヶ峠を越える。下る途中、「夜明けの道」の碑があり景色もよい。


「坂本龍馬脱藩の宿」の前景
    


「夜明けの道」の碑
(背景すばらしい)

下の神納の部落のはずれから、標識に従って車道を右折するが、次の標識が現れず心配になる。車も通らない。やっと農作業のご婦人を発見、尋ねて安堵する。次の封事ヶ峠から水ヶ峠への車道も標識の間隔が長い。かんかん照りの車道歩きは疲れる。そのせいで、行程の三分の一くらいでお茶が一本なくなった。しばらく我慢していたら、無人の日除部落集会所に水道栓があり、ありがたく頂戴した。三杯谷の滝付近では、道を間違えロスを出す。四つ目の泉ヶ峠に14時到着。ここは、龍馬らが二泊目をしたところ、家屋はない。ここを過ぎて車道に下り、案内書に従おうとするが、目指す道がない。疲れのせいもあろう、発見できない。案内書にも標識はないがなどとある。人はもちろん車も通らない。そこへ車が来た。それに乗せていただき、最終ゴールの五十崎町宿間に到着。まさに、天の助けであった。そして、龍馬らが舟で旅立った小田川の岸辺にゴールイン。


ゴールの小田川


(注)
今回の全写真を Yahoo! PHOTOS にアップロードし公開していますので、興味のある方はご覧ください。
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