第42回東京松江会総会に出席して

〜〜平成30年度〜〜

平成30年11月22日
福間三郎・木下勲

 去る9月29日、千代田区「霞会館」で第42回東京松江会総会が開催され、8期生から福間、木下、水野の3名が出席しました。当日は台風25号の影響影が心配される中、松江市からは松浦市長、森脇勇人市議会議長、その他多くの市の関係者が出席されたうえ、100名近くの会員の参加を得て、例年のごとく既に顔なじみになった会員の皆様と楽しく懇談をする機会を持ちました。以下に盛会の模様を報告します。
 


式次第

 舟岡幹事長の開会の宣言を受け、奥村康東京松江会々長の歓迎の挨拶、続いて松浦正敬市長の松江市の現状報告がありました。


奥村会長のご挨拶

 雨の中多くの皆さんにお集まりいただきありがとうございました。本日は私が本会の会長職を引き受けた経緯を述べたいとおもいます。何年か前に石倉義朗さんから、副会長役を引き受けてもらいたいとの連絡があり、軽い気持ちで引き受けました。

 それから、しばらくして松平会長からお声がかかり、昔の男爵、子爵の子孫が利用を許されている霞会館(34階)で松平会長と食事をした際、松平さんの後任として、会長職を引き受けるよう仰せつかまりました。日本では松江、京都、奈良の3都市が国際都市に指定されていると聞いていたので、私のような平民がそのような大役を引き受けていいんですかねと松平さんに問うたところ、松平さんは"平民がいい、平民がいい"といわれ、私のような平民(笑)が会長職を引き継ぐ羽目になり、今日に至っております。

 私は医者ですので人間の身体についてすこし語らせてもらいます。今年の4月、順天堂大学病院に古川財閥の御年90歳台のご当主が足を悪くして入院されました。この人と親しくしておられた前中国大使の丹羽宇一郎氏や朝日生命のお偉方がお見舞いに上がりたいので、私に案内してくれと頼まれたので引き受け、案内しました。この時、丹羽さんが古川さんに何か困っていることはないかと問われたら、医者や看護師の看護には感謝しているが、ただ一つ病院のメシがまずいのには閉口していると答えられました。これに対し丹羽さんが古川さんに今、何が食べたいか問われたところ古川さんは牛丼が食べたいと答えられた。丁度、その時、主治医も立ち会っていたので、私は彼に対し、食事制限を解くように命じました。

 それから2,3日して新聞の訃報欄で古川氏が逝去されたことを知り、驚いて主治医に死因を問うたところ、牛丼を喉に詰まらせて亡くなられたとのこと、早速、丹羽氏に連絡したところ、奥村さん、気にしなさんな、人は自分が一番食べたいものを食べて、死ぬのが一番幸せだよと慰められ、食事について口を出した自分を責める気持ちが治まりました。

 このようなアクシデンタルな死が他にもありますので紹介しますと、正月の元旦に餅を詰まらせて400人以上が毎年、必ず亡くなっています。餅を小さくして食べやすくするなど工夫をすれば防げた死です。もう一つ予防可能な死があります。それは毎年、風呂場でひっくり返って死ぬ人が4,000人に上ります。この人達の死は間違いなく、降圧剤を服用されていることが判明しております。

 このように人の死は予防措置をとれば防げるものが、2,3割、治療が遅れて死ぬのが2,3割です。私、奥村は東京のど真ん中におりますので、皆さん、身に何か異常を感じられたらご連絡下さい。全力をもって治療に当たります。



    奥村会長のご挨拶が終わったところで、事務局から29年度の活動報告、会計報告、監査報告があり、
    満場一致で承認されました。


 続いて、松浦松江市長が登壇され、松江市の現状を報告されました。

 
松浦松江市長現況報告を兼ねたご挨拶

 皆さん、こんにちは。今日は足元の悪いところ、多数ご参加いただき、有難うございました。1年ぶりに皆さんと顔を合わせる機会を持つことが出来、大変うれしく思っております。
 さて、本日は元女子プロテニス界のレジェンド、沢松奈生子さんにお超しいただいております。

 沢松奈生子さんは私が市長に就任したころ、「松江スポーツ健康大学」の学長をお勤めしていただいていました。その後、沢松さんは元女子テニス・プレーヤーと共に「いちご」会を結成され、各地で子供達にテニス・プレーの指導活動をされておられていました。
 松江にも毎年来ていただいて、子供達の指導にあたっていただいておりましたが、その中にまだ小学生であった錦織圭選手が「いちご」会の指導の下、練習に励んでおりました。

 錦織圭選手は今や世界的プレーヤーとして今をときめいていることは皆さんご存じのところです。これも、沢松さん率いる「いちご」会のご指導の賜物と思っております。そういう訳で、沢松さんにこの度、松江観光大使を委嘱すべくお願いしたところ、心よく引き受けていただきました。10年後には島根県で国体が開催されることになっておりますので、沢松さんにはそれも見据えてご尽力、ご指導のほどよろしくお願いします。

 ☆最近の松江市のできごとについて
 
@この4月に松江は中核市になりました。保健所が、県の保健所から市の保健所になり、より身近に市民のみなさんの健康を診ていくようになります。子育て、子供の健康を保健所が中心になってする環境を作ってゆきます。

 A松平不昧公没後200年祭で、県立美術館で国宝級のものの展示もしています。合わせて新しい和菓子、手ごろなお茶のセットなどを販売しています。インターネットでも購入できます。

 B来年、ホーラーエンヤを行います。日程は、5月18日(土)が渡御祭(とぎょさい)、5月22日(水)が中日祭(ちゅうにちさい)、5月26日(日)が還御祭(かんぎょさい)です。新しい年号および市制130年を慶祝する意味を込めでも盛大に行います。ご期待ください。

  Cふるさと納税制を使って、みなさまの善意のご寄付をお願いします。寄付額の6割が住民税控除される企業版ふるさと納税も新設されました。よろしくお願いします

  D人口減少対策としては松江市との係りを持つ人々を沢山作り、またその人達がそれぞれのところで松江をPRしたり、松江に訪れてもらう、いわゆる関係人口作りに励んでおり、正にこの東京松江会がそのはしりですので皆さんの絶大なるご協力をお願いする次第です。



     松浦市長の挨拶が終わったところで、市長から沢松さんに松江観光大使の委嘱状が付与されました。


観光大使委嘱式


観光大使の名刺付与

 委嘱式が終わったところで、沢松さんのテニス人生と松江市との関わりついて講演されました。


講演(演題:私のテニス人生、そして松江)

 沢松さんは松江出身の錦織圭選手の性格とそのテニス技術をもってすれば世界的プレーヤーとして更なる期待が持てると語られると共に、自分のテニス人生を1時間にわたりたっぷり語られました。残念ながら私、福間三郎はテニスの知識に疎く、講演内容のメモが取りきれませんでしたので、インターネットに掲載されている沢松さんの記事に譲りたいとおもいます。
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 沢松さんの講演が終わったところで懇親会に移りました。乾杯の音頭は松江市議会議長の森脇勇人さんがとられ、大きな体躯をゆすりながら松江市の更なる発展を祈念されました。

森脇隼人市議会議長による豪快な乾杯の音頭

以下に任意で選んだ写真で盛会のもようをご紹介します。