第53回東京双松会に出席して

2008・09・13
福間三郎

 去る9月6日(土)千代田区一ツ橋の如水会館で開催された第53回東京双松会に8期生を代表して水野恵夫君、藤江敦美君、福間三郎の3人で出席しました。
 ご案内の通り、東京双松会とは関東地方在住の松江高校卒業者(松中、松高、北高、東高)の集いで今年は53回目の会合に当たります。登録会員1500人のうち、今回は学校からの参加者を含めて上は昭和19年、下は平成5年から80人の参加者がありました。私達3人は過去3回にわたり連続して出席しておりますので先輩、後輩の皆さんとすっかり顔なじみになり、互いに名前を呼び合っての楽しい一時を持つことが出来ました。

 出席者の名簿はココをクリックするとご覧になれます。


新井幹事・38年卒前島事務局長・38年卒

司会(水師 裕 幹事・H5年卒)

 冒頭、上村桂一郎会長(26年卒)の開会の挨拶の後、北高の藤原泰樹先生、東高中村清志校長先生よりご祝辞を賜ると共に、学校の現状報告を受け、山本隆志双松会副会長(30年卒)からは少子化傾向を抱えているも両校とも文武にバランスが取れた状態にあり、今一度建学の精神に思いをいたし、母校の更なる発展に寄与して行きましょうとの呼びかけありました。

上村桂一郎東京双松会々長挨拶

松江北高藤原泰樹先生祝辞

松江東校中村清志校長先生祝辞

双松会山本隆志副会長挨拶

 続いて会計報告、監査報告が承認された後、石倉義朗副会長(30年卒)より東京双松会事務所の設置と組織改正について以下のとおり提案があり満場一致で承認されました。

今回の東京双松会の組織改正を説明する石倉義朗副会長

 東京双松会は長年にわたり事務所を木佐安允副会長(29年卒)のご自宅に設け、会員の名簿管理、会計、総会の手配等の諸手続き一切をお願して来たが、この度、このような個人の負担に頼るやり方を改め、東京西新宿で会社を経営されている三島俊介さん(38年卒)の一隅をお借りして、今後の東京双松会の運営を行って行きたい。また、これを機会に役員の改選を図り、組織の若返りと活性化を図りたい。
 なお、今回の役員改選では8期の水野恵夫君が留任し、新たに不肖福間三郎が選ばれ、会計の一役を担うと共に、かねてよりの懸案であった東京双松会のホーム・ページ開設について先導することになりました。

 新役員の名簿と新規約はココをクリックするとご覧になれます。

 さて、今回の基調講演(部活報告)は「ボート部」で、伝統ある「ボート部」を支えてこられた先輩諸氏にお集まりいただき、お話しいただきました。お話しくださったのは昭和22年以来、松高ボート部をご指導されて来た袖本重幸さん(元島根県漕艇会々長、元母校化学担当教諭)で今や斯界では伝説的な指導者で、わざわざ松江から駆けつけてお話しくださいました。


ボート部130年の歴史を語る袖本重幸さん

 松江中学が明治16年に宍道湖で6人乗りカッターを漕いだのがボート部の始まりで、明治36年には松江中学が琵琶湖大会で全国優勝、以来、大正、昭和に至るまで常に上位入賞の好成績を残し、全国に強豪としてその名を馳せて来た。戦後は24年に松江高校が全国準優勝、新しいところでは平成5年に松江北高校の野地美紗子さんがシングルスカルで全国優勝し、松江東校、松江高専も活躍した。

明治36年(1903)全国大会で優勝した島根県立第一中学校端艇部の記念写真

第5回国体準優勝の松高クルー(松江大橋川で)

 このようにボート会の「名門松江」は健全で、昭和57年の国引き国体を記念してスタートした「松江市民レガッタ」は県内外から300余のチームが参加する全国一の規模までに成長し、今や、水郷際、天神祭りと並んで水都松江の夏の風物詩になっている。平成5年には高名な「「早慶レガッタ」も実現した。早慶戦のような大規模派遣は他に例が無く、極めて実現困難なテーマであったが日本ボート協会は競技も応援団も含めイヴェント全体の協力を惜しまなかった。これも「水都松江」のボート力もさることながら、我等が先輩で日本漕艇協会の初代会長を務められた岸清一先生に協会が配慮にしたものと思われる。ここに改めて同先生が競艇を含めた日本スポーツ界の発展に尽くされた功績に感謝し、敬意を表したい。

 続いて、袖本監督の下、昭和30年代後半に指導を受けられ、活躍された横山宏充さん(36年卒)(現美保神社禰宣)が登壇され、当時の部活の思い出話を披露され、ボートとはゴールを背中に向けてプレイする唯一のスポーツで体力と頭を使うスポーツであることを例に挙げながら、袖本監督の下、35年の米子インターハイで準決勝まで進んだ時の感激を語られた。宍道湖と中海というボート環境に恵まれた郷里のボート会の発展に今後ともいささかなりとも協力して行きたいとボートに対する熱意を語られた。


ボート部卒業生を代表して当時の熱気を代弁する横山宏充さん

 続いて現商船三井の代表取締役社長の芦田昭充さん(37年卒)が登壇され、「双松会に寄せて」と題して語られた。


スポーツの効用を説きながら世界経済の先行きを語る芦田昭充さん

 同氏は松高時代に陸上部に所属し、文字どおり「文武両道」を歩んで来られ、今日同氏があるのも松高時代の陸上部での活躍が基礎になっていること、また、会社に入社したころ松高野球部出身の先輩にしごかれたことをユーモラスに語られ、人間形成上スポーツが果たす役割は大きいことに先ず触れられた後、ライバル会社日本郵船と比較しながら、会社の現状と更なる発展を期している胸の内を披露された。現在の保有船隻数900隻を2012年までに1200隻に増やす過程にあって日本、韓国、中国と熾烈な造船競争をやっているが造船には高度な鉄鋼技術が要るため、この面ですぐれた技術を持つ日本の地位は守られるであろうこと。同社の事業規模は約2兆円、利益3200億円で株式上場会社の中で現在23番目、極近い将来において17番目に到達することを目標にしていること。世界中の国々と取引関係にあるが、一党独裁支配下にある中国は自分勝手なところがあり、同国との取引には苦労していること。先般中国でのオリンピックは終了したがオリンピックには一定のサイクルで政治変化が伴っていること。例えば、1936年のベルリン・オリンピック(10年後)のナチス崩壊、1980年のモスクワ・オリンピック(10年後)のソ連連邦の崩壊、今年オリンピックを開催した10年後の中国は果たしてどうなっているか?経済の世界でもあるサイクルで変化がおきていること。1987年のブラック・マンデー、1991年の日本のバブル崩壊、1997年のアジア通貨危機、2000年のアメリカのITバブル崩壊、2007年のアメリカのサブプライム問題、さて3年後の2010年は?と世界経済(日本経済)に悲観的な見方をする向きもあるが自分としては経済は徐々に回復基調に向かうと楽観視している。

 以上二つの基調講演の後、バレー部の雄、石原道央さん(26年卒)の乾杯の音頭で懇親会に入りました。以下、写真にて懇親会の様子をご覧下さい。

かっての松高バレー部の雄 石原道央さんの乾杯の音頭

袖本さんを囲んで(歓談ーその1)

歓談ーその2

歓談ーその3

歓談ーその4

歓談ーその5

歓談ーその6

歓談ーその7

松高北高、東高の先生方

昭和37年卒(13期)の皆さん

袖本元監督と元ボート部の皆さん

今や東京双松会の常連となった8期のご三方

赤山健児を熱唱する熟年会員の皆さん

 熱気に包まれた懇親会は岡弘道副会長(27年卒)のリードで「赤山健児の歌」、松江北高校歌「山脈浮かびて」を全員で熱唱してお開きとなりました。