そもそも今では”ハワイアン”といえば、演奏(スチールギター・アコースチックギター・ウクレレ・ベース・打楽器等)踊り(フラ・タヒチアン)と幅広く知られ、今日に至ってはウクレレ教室、フラダンス教室とあらゆるカルチャーセンターの目玉と言はれる位の音楽と言っても過言で無いくらいあちこちで聞かれる(但し、残念乍ら若者には殆ど受け入れられてない)。特に、フラダンス・ウクレレに至っては昔のお嬢様方(失礼はお許しの程を…)がこぞって講習され、大・小ホールで発表会を催し、色とりどりのステージ衣装(一般にムームー)を衣飾り踊ってる姿は第二の青春を謳歌し人生の励みになってる事は否めない事と感心しかりと言う所です。その講習の一環とフラダンスのバック演奏をさせて貰ってる小輩も一部のお零れに預かって居ります。
 私の最初のハワイアン(当時はハワイアンという言葉すら知らなかったが…)との出会いは見ることから始ったような気がします。それは高校在学当時に補導部の先生の監視?を避けるようにして伯母に連れられ(スリル満点!)観た映画”ハワイの夜”(鶴田浩ニ・岸 恵子共演)で背景に流れる聞いたことの無い音(実はスチールギター)が妙に気になった。次いで音的には今は無き友の長谷川昌明君が当時持っていた電蓄(一寸呼称が時代錯誤かな?)でEPレコードを聞く機会に恵まれ(特に今で言うスタンダードジャズ・ポプラーソング等)てた。
 当時はご承知の様に欧米の流行(ハヤリ)り歌などを聞いたり奏したりはまだまだ、特にギターケース等持ち歩きでもすればあの家には不良がいる(最も小輩気持的には若干憧れも有ったような…)と噂が飛ぶ時代でしたから……。
 それが上京して幾らか真面目に通学して居たが或る日、大学のサークル活動の部室からあの映画で残響していた音色が耳に入ってきて矢も盾も堪らず入部して(実際はハーモニカソサイエテイー)本当の”ハワイアン音楽”に触れ出したというのがキッカケです(もっと本音を暴露すると当時はプロのバンドも左程多くなく学生バンドの需要がそこそこ有り、バイト料の実入りが良かったという所です)。
 在学中は大学同好会のバンド活動をしダンスパーテイー・企業のクリスマスパーテイー・地方の演奏会、と夏場は飛び回り北海道意外は当時全国が廻れて良い経験をしました。取り分け当時四国松山でNHK・南海放送の児童劇団で活動していた"日野てる子"さんを諸先輩方と発掘しデビュー迄、一緒に楽しめた事が印象に残ってます。 

デビュー前の日野てる子
四国松山刑務所慰問時
(前列左から2人目、小輩は後列右から3人目)


デビュー後の日野てる子と小輩
松山梅津寺海水浴場特設ステージ
 

 その後、就職し定年を迎えるまではハワイアンから遠ざかり楽器も手元に無く、レコード、テープをたまに聴くくらいでしたが定年を境に、前述の様に”ハワイアン”が(古い言いまわしで言えば)ブームなので近隣の公民館等でウクレレを教えたりハワイアンバンドを組み(定年組3名・現役55〜58歳<会社は辞めて欲しいだろうの連中数名>フラのお嬢様?の発表会のバック演奏したり、何れはされる方に近く成って来つつ有りますがシルバーセンターボランテイアー慰問演奏・年1回の演奏会等趣味を活かして?今日に至ってます。
 聊か、趣味の紹介というよりも過去の整理と若干のPRで掲示版面を汚したのでは無いかと懸念しつつ……。
掲載の写真でも照覧下されば幸甚です。この様な、駄文で良ければ又の投稿をと思ってます。 ご興味あれば、メールでも交換しませんか?
バンド名:Kona I'slanders 
塩 谷  晃 


東京芸術劇場での絵画展時のアトラクション出演


伊香保温泉ハワイアンフエステイバル出演時


或る会社の懇親パーテイー


自演の一曲を披露
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 曲は、Beyond The Reef です。





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