「ほんそ、ほんそ」

 松高を卒業して、45年が経過しました。その大半を、現在の横浜市青葉
区で過ごしたにもかかわらず、私の口から咄嗟にでてくる一言は、ジャン言
葉ではなく出雲弁が多いようです。出雲弁のDNAが、しっかり植えついて
いるのでしようか。ただ、テレビで聞くあの参議院議員・青木幹雄さんほど
ではありません。「だんだん」、「だらずめが」、「そげだがね」などなど
です。なんだか、濁音が多いような気がします。
 過日、NHK教育テレビ'島根県の方言'で出雲弁の一つ「ほんそ、ほんそ」
が紹介され、懐かしく思い出しました。母親が、「ほんそ、ほんそ」とわが
子の頭を撫でるしぐさは、微笑ましいものでした。解説者曰く、出雲神話の
時代から生き続けてきた言葉ではないかと、さもありなんと思いました。ま
た、「あの子は、ほんそ子だわね。」と、可愛がられ甘やかされて育った子
供を、半分揶揄していったものでした。
 私ら双子の'いさまさ'兄弟は、普通の「ほんそ、ほんそ」で育てられまし
た。でも弟の私にとっては、確かな差が存在しました。それは、「ほんそ、
ほんそ」の差ではなく、そこに厳然とした順番があったからです。なにをす
るにも、「生まれた順に、生まれた順にね。」と言われて大きくなりました。
乳幼児期における授乳、入浴、着替え、飯盛りなどの生活の節々で起こり、
時には私の生理と合わずやんちゃをいったものでした。
 と、ここまで読まれて不思議な点に気づきましたか? 弟の私が、後から
生まれていると!私らが生まれた戦前は、先に生まれた子が弟、後から生ま
れた子が兄というルールになっていました。ところが、二人を取り上げた産
婆さんが、進歩的な方だったので、生まれた順に兄、弟としたわけです。
 私のやんちゃも、自分のことは自分でできるようになった小学校低学年ま
でに、ほぼ終わったようです。そして、いかに兄を出し抜くかに腐心した気
がします。年功序列から二人だけの競争社会へ入っていったわけでした。と
はいうものの、外では年功序列の世界に浸かり、定年まぢかになりました。
そして今、世の中は競争時代。ほんとうにそれだけでいいのかでしようか。
勝者と敗者、強者と弱者に峻別するのではなく、年功序列もあり競争もある
ような雑多な世界で、個々の個性を尊重(ほんそ、ほんそ)し合うような世
の中がいいように思いますが、いかがでしよう。
                *
 上記は、三つ目のエッセイです。前の二つは、邇摩高出身で会社先輩OB
主宰のHP「加藤丈夫の旅の彩り 花と蕎麦と五百羅漢」に、蕎麦にちなん
で寄稿したものです。「高水三山から玉川屋へ」、「鬼平とそば」がそうで
す。それを紹介したら、われわれのHPへも掲載をとの要請でしたが、かっ
てボツにした「ほんそ、ほんそ」がよかろうと、手を入れ直しました。
 このURLは、http://www.pp.iij4u.or.jp/~jorbkato/ です。どうぞご
覧ください。

                      2002年12月29日記
                木 下 勲(isaoknst@de.catv.ne.jp)



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