小林信生  松江に住んだのはたった3年余りですが、「あなたの故郷はどこですか」 と問われれば「松江」と答えることにしています。多感な中学・高校時代を 過ごしたからか、松江という趣のある街がその様に感じさせるのか、自分で もよく分かりません。昔、父が本籍を松江に移して以来、そのままにしてあ るので、出身地は島根県とか松江と書かれることにも因ります。家内は戸籍 謄本を取り寄せる度に便利が悪いので、東京に移せと言いますが、今もって それが出来ないのは、松江との関係が何となく薄くなってしまうように思う からです。  私は、父の仕事の関係で松江に移るまでは、大阪―中国/天津(引き揚げ) ―大阪―泉佐野と移り住んでいました。その頃の私は松江での生活が好きに なれず、親の反対を押し切って、一人で中学3年生の3学期に大阪に転校し て、高校に入学しました。親の監視を逃れて、高校生の下宿生活がうまくい くはずがありません。バスケットボールにうつつを抜かしている間に成績は どんどん落ち、父の逆鱗に触れて、また、松江に呼び戻されるという醜態を 演じ、松高2年生の2学期に転入学しました。そのころのことは三中時代か らの友人達はよくご存知です。うろうろする間に、学業的には劣等生になっ てしまい、バスケットボール以外に何の取り柄もない学生になってしまいま した。今から考えれば、松高時代は相当やんちゃな時代でした。宍道湖のウ ナギの仕掛けにいたずらしたり、学校の椅子/机や天井板を壊してストーブ で燃やしたり、つまらない授業のボイコットをしたり等々、よそ者にもかか わらず、主犯格でありました。約3年の松江というのは、中学時代と高校時 代に一年半ずつ住んだからですが、短い期間、かつ、いい加減な中高生時代 を過ごした私であるにも拘わらず、そのころの友人達が今でも親しくつきあ って下さることを大変嬉しく思います。  結局、私は小学校4つ、中学校3つ、高校2つ、大学まで併せて、計10 の学校に通うはめになりました。それぞれの学校に想い出がありますが、一 番つながりが強く、懐かしく思うのが、3年しかいなかった松江です。一度 はイヤで離れたいと思った松江ですが、この街には何か不思議な魅力があり ます。数年前、松高卒業35周年記念同窓会に出席するため、高校卒業後初 めて、松江を訪れました。宍道湖と嫁が島、松江城とお堀、小泉八雲邸、松 高跡、そして、通学した道をたどってみて、タイム・カプセルの入ったよう に感じました。微力ながら、私が松高同窓会のお世話をしたいと願うのは、 昔のいたずらの贖罪感がそうさせるのかなと思うこの頃です。                            2002/3/12 記



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